ひとり言

ひとり言 · 24日 4月 2018
 先日、このコーナーで「似て非なるもの」として見分けがつかないほど似ているのに実は違っているものについて書きました。今日は、おなじみの野菜である「玉ネギ」と「長ネギ」をテーマに選んで、形状がまるで似ていないのに、実は仲間であるものについてお話しいたします。...
ひとり言 · 17日 4月 2018
 今年もプロ野球が開幕して数週間が経過しました。長いシーズンからみれば、まだ序盤戦ですが、既にそれぞれのチームの好不調がはっきりしてきて、予想外に好い成績で首位を走るチームもあれば、その分、負けが増えたところもあります。これを「春の珍事」と呼んでは一部のファンから怒られるでしょうか?チームの成績もさることながら、各選手においても期待以上に活躍する選手もいれば、その逆もあってシーズン終了後に契約更改する際は様々なドラマが展開されることでしょう。  ところで、プロ野球の選手の報酬は原則として翌年に対する期待によって決まると思います。勿論、その期待が前年までの実績を参考に決まることは当然ですが、その実績に対する報酬というよりは、これから為される仕事に対する前払いということになります。稀に出来高払いに対するボーナスが約束されることも聞きますが、たぶん例外でしょう。私は、プロ野球に対する知識がそれほど豊富ではありませんので、これらのことは事実と異なるかもしれませんが、そこは大目にみてもらい、ここで考えたいのは一般企業における社員の報酬は期待に対する前払いなのか、実績に対する後払いなのか、ということです。  結論から言うと、曖昧な部分を残しながらも、実績に対する後払いの性格が強いような気がします。そこで常に問題となるのが、実績に対する評価が妥当であるかどうか、ということです。弊社としては社員の業務実績に正当な評価をするよう精一杯の努力をしています。それでも完全な制度というのは難しくて、常に工夫を凝らす必要性を感じています。  会社の繁栄と社員一人一人の幸福は社内を活性化することで実現します。そのために、社員が業務に対する「やりがい」と「達成感」を感じて一層の成果を上げるにはどうしたらよいかを考え続けていかなければなりません。正当な評価をすることは当然のことですが、それは最低限、必要なことであって、それに加えて何か工夫してみたいと悩んでいます。プロ野球選手は、前払いで報酬を受取っていても、期待どおりに活躍できなかったからといって、報酬を返還したりはしません。その代り、翌年の契約更改はかなわず失職することになります。これを、そのまま一般企業の給与制度に適用しても不都合が生じます。また、職務内容や立場、責任の異なる社員に対して公平性を保つ制度を考えるのは悩ましい限りです。  私の悩みは「私の独り言」で愚痴として吐き出すだけですが、サッカー日本代表監督の解任のニュースに触れて人材を活かすことの難しさという共通点を見てしまったような気がします。ワールドカップ本戦まで、あと僅かな時期となって、これも、ある種の「春の珍事」でしょうか。
ひとり言 · 09日 4月 2018
 東京では早々と桜が咲き、既に散って新緑が見ごろを迎えようとしています。どちらかというと私は植物に疎い方で、花を見て、その正しい名前を知っているわけでもなく、ただ、ボーっと眺めているだけですが、以前に犬を飼っていた頃は春夏秋冬の別なく、毎日散歩に出掛けました。そのとき、葉を落とした冬景色の街路樹に最初に白い花を咲かせるのが「モクレン」だということを、そこに括り付けられている名札で知りました。また、近くの公園でよく似た(というより同じに見える)白い花を見つけて、今度は「コブシ」と表記してありましたが私には見分けがつきませんでした。いろいろと調べてみると違いがあるようですが、ここでは詳しく取り上げることはしません。  同じように、私には見分けがつかない花を思い浮かべてみました。 「ツツジ」と「サツキ」 「牡丹」と「芍薬」 「アヤメ」と「ショウブ」と「カキツバタ」 「アヤメ」と「ショウブ」は漢字では同じ菖蒲で読み方が異なるだけなので同じものかと思いきや、やはり別物のようです。  植物の種別意外にも、「似て非なるもの」があったかな?と周囲を見回してみました。 「デモクラシー」と「ポピュリズム」 「グローバル」と「ボーダレス」と「コスモポリタン」 「愛国心」と「排他主義」 植物の場合と違って、これらをはき違えると大変なことになりかねません。しっかりと違いがわかる60台になりたいと心掛けています。
ひとり言 · 02日 4月 2018
 今日は年度始めです。気持ちを新たに新しい一年をスタートしたいと思います。毎年、この季節になると通勤電車の中で濃紺のスーツに身を固めた若者が4人、5人と連れ立って乗ってくる場面に出くわします。話している声のトーンや所作から、社会人というより学生らしさを感じる彼らは、おそらく新入社員なのでしょう。私たちのように毎年、新年度を繰り返している者とは異なり、彼らにとっては輝かしい未来と大いなる不安に満ち溢れた特別なスタートに違いありません。しかし、それが感じられるのは傍から眺めている私たちばかりで、本人たちはきっと、新しい環境に適応するために無我夢中で目の前のこと以外は目に入らないかもしれません。…というのが三十数年前の私自身の体験です。  そして、今、あの頃よりも遠くを見る余裕があるにも関わらず、いや、それだからこそ見えてしまう安定した現実とその先にある限界に物足りなさを感じてしまいます。一方で、これではいけない、自分で限界を決めず、もっと遠くの景色を眺めてみたい、と気持ちを奮い立たせています。それでは、今の私に何ができるのでしょうか?正直言って、視力、聴力、体力は確実に衰えてきています。その影響でしょうか、何をやっても活動量が減り、集中力も持続できません。たとえば、PCやスマートフォンの操作において、説明そのものの理解力は衰えていなくても画面に映し出された文字を追いかけるスピードが若い人に比べて圧倒的に遅いのと、ひとたび操作を間違ったり迷ったりしたときに、ダメ元でいろいろ試してみる気力が衰えていて、つい指が止まってしまうのです。  しかし、こんなことで沈んでいるわけにはいきません。「今の自分の武器は何なのか?」、よく考えると、これまでの経験だろうと思います。この経験から得られるものを突き詰めてみると精神的余裕と知識ということでしょうか。この知識というのが意外と厄介で、すぐに賞味期限が切れてしまいます。そして、無造作に古い知識をそのまま振り回すと恥をかくことになります。そこで、これからは知識の奥に隠れた本質を果物のエッセンスを抽出するように絞り出すことを心がけようと思います。限られた時間と体力で勝負するには、力任せにがむしゃらになるのではなくて、こういった工夫は最低限必要でしょう。  年度始めにあたり呟くことといえば今年度の抱負とか目標が相応しいのかもしれませんが、今回は年齢を重ねることによる衰えの言い訳と衰えをカバーするための少々、図々しい意見をご披露しましたが、この図々しさも心強い武器の一つですね。
ひとり言 · 28日 3月 2018
 散りゆく桜を「花吹雪」と言うことがあります。また、降る雪を花にたとえた「雪の花」という季語があります。花と雪は互いに例え合う間柄であって、それは、両者が似ているというだけでなく、どちらも風情を感じるからだと思います。...