2015年

12月

09日

ホッチキスって何語?

紙の束をコの字型の針でパチンと止める文房具。そう、我々がホッチキスと呼んでいるアレです。無知な私は英語でもホッチキスだと信じていましたが、アメリカ人に対してホッチキスと言ったとき意味が通じず、「これ、これ、これだよ」と現物を見せたとき、ホッチキスという語感が滑稽に感じたのでしょうか?爆笑されてしまいました。

 

ご存知の方には退屈な話題ですが、英語では「ステプラー」というそうです。ではホッチキスは一体何語であって、何故ステプラーをホッチキスと呼ぶようになったのでしょうか?

答えは明治時代に遡ります。当時の日本に輸出されたステプラーはホッチキス社の製品だったそうです。つまりは製造元の社名という固有名詞が一般名詞として使われるようになったというわけです。

 

布を縫い合わせるときに使う機械、いわゆるミシンの語源はたしか英語で機械を意味するマシンだったと思います。こちらは機械全般を意味する単語がいつの間にか特定の目的の機械の意味に使われるようになった、というお話でした。

 

ふたつとも、だから何?と言われそうですが、そこは気持ちを抑えて、また次回もお付き合い願い奉ります。

0 コメント

2015年

12月

04日

自宅の売却

私はこれまでお客様の不動産の購入、売却のお手伝いをさせてもらいました。それに仕事として会社の名義で100件以上購入し50件以上売却してきました。しかし、個人として住んでいる最中の自宅を売却したのは2年半前に1回経験したのみです。そのときの感覚として他の取引の場合と異なる印象が残っているので、当時書き記した文章を引っ張り出してみました。

まずは売却を決心した直後の状況から…

************************************* 

転居先が決まる前にもかかわらず、妻は出力全開。
手始めにBOOK OFFを呼んで500冊の本とゲームソフトを処分。翌日は廃品回収業者数社から見積とって子供たちの学習机やパソコンラックなどなどを処分。昨日は祭日ですが一般ゴミの日だったのでガラクタ類をビニール袋に詰めて10袋。こうしておけば引越が楽になるだけでなく、売却の際、購入希望者に広くて整理整頓されているといった好印象を持ってもらえる。

      ********************************************


こうして購入を希望するお客様を迎えるための準備を整えて、それから2週間、2組目のご家族から購入の申込みをいただき…

*******************************************

310日に自宅の売却契約に実印を持って妻とふたりで出かけてきました。いったいどういう方に買っていただくのだろうと興味津々。約束の時間に行くと40歳くらいのご夫婦が先に来て重要事項の説明を受けていました。互いに挨拶を交わして席に着き、いよいよ契約の手続きに入っていきます。個人としては高額の契約なので最初は表情も態度も硬くて緊張している様子でしたが次第に打ち解けてきて家族構成などを伺うと15年前の我が家によく似た状況でした。

     *******************************************


そして、無事に署名捺印を終えたあと、引き渡しの打ち合わせのとき…

       *******************************************

  リビングのソファやダイニングテーブルのセット、キッチンの食器戸棚、各部屋の照明やエアコ   ン、カーテンなど本来ならこちらで持って行くか処分しなければならない家具類のうち気に入っ   たものがあれば残していくので契約の後に実物を確認しながら相談したい、と提案してみまし     た。はっきり言って、こんなことは例外中の例外なのですが、残していく家具は部屋に合わせて   コーディネートしたものだし、買い手のご家族もお子さんたちの学校の新学期に間に合うよう慌   しく引越してくる様子。新しい家具を買い揃える時間がないかもしれないと考えて思い切って切   り出してみると、ほとんど全部残してほしいとのこと。おまけに奥様の口から「最初に家を見に   来たときからライフスタイル自体に憧れていたので大変嬉しい。家も家具も大切に使うので引越   した後も遊びに来て欲しい」とまで言われて大感激しました。

  ******************************************** 

ホームステージングという考え方があります。それは一般に中古の住宅を売却する際に少しでも高値が付くよう室内を美しく飾ることだそうです。そこには理想の生活を映し出す鏡のようにトータルコーディネートされた家具が仮に設置されます。

私の自宅売却作戦は不用品の処分から始まって室内外のクリーニングや不具合な部分の補修、庭木の手入れをし、ホームステージングを目指したことで売却に役立っただけだはなく、思いもかけず想い出の詰まった大切な家具を引き継いでもらい大成功でした。

 

現在売り出しているナイスアーバン大森も、ホームステージングを意識しています。この販売も、大成功といきたいものです・・・

0 コメント

2015年

11月

27日

もうすぐクリスマス

今年も残すところ1か月余り。街のあちこちでクリスマスデコレ-ションを見かける季節になりました。タケイチバリュアブル不動産株式会社でも社員がそれぞれクリスマスグッズを持ち寄り飾っています。私が自宅から持ってきた身長70cmのサンタクロースも皆さんを出迎えようと入口近くに立っています。

 

私が幼かった昭和30年代も、現在と同じようにクリスマスイヴには、家族でケーキを食べたものです。夜大人しく眠りにつくと、翌朝にはサンタクロースのプレゼントが枕元に転がっていました。そんな風景は、昔からの慣習のごとく一般的な年中行事のひとつでした。ただし、その頃に食べたケーキはというと、一口目は美味しいのですが、夢中で全部食べ終わると、その甘くてしつこい味のために胸焼けがしたものです。

 

クリスマスと言えば、みなさんはいったいいつ頃までサンタさんが実在していると信じていましたか?私は、たぶん小学校1年生の頃にはすでに信じていませんでした。その前年、幼稚園に通っていたときに、欲しかったおもちゃがプレゼントされ、どうして会ったこともないサンタに欲しいモノがわかるのか不思議でたまらなくて、質問攻めにして母親を困らせたような気がします。

こんなつまらない記憶ではなく楽しい想い出も沢山あるはずなのに、そちらの方は記憶の彼方に消え去ってしまったようです。

 

時は流れ、私も3人の子を持つ父親となり、子供たちが小さかった頃は、喜ぶ顔見たさに休日1日を費やして2mのクリスマスツリーの飾付けに悪戦苦闘したものです。その頃、たまたま仕事でハワイに駐在していたので、日本ではお目にかからないちょっと珍しいクリエイティブなグッズが沢山あって楽しんでいました。皆さんを出迎えるサンタクロースもその時に手に入れたものです。

 

是非、弊社にお出でいただき、実物をご覧いただければと思います。

 

続きを読む 0 コメント

2015年

11月

17日

マンションの潜在価値とお客様の需要を結びつける

このホームページで何度か繰り返し主張している言葉「マンションの潜在価値を最大限に引き出す」、そのために私たちはこれまで何をしてきたか?そして、これから何をすればよいのでしょうか?弊社の所有しているNICEアーバン大森402号室の販売を例に弊社の考えをお伝えしてみたいと思います。

 

このマンションは平成22年に購入してから最近まで賃貸物件として家賃収入を得ていました。当初から賃借人がいて、その方が退去するまで部屋の中の様子は実際に見ることができず、ただ図面の上で想像するのみでした。長年お住まいいただいた賃借人の方に感謝しつつ荷物が運び出された後の空き部屋に足を踏み入れてみると、角部屋ゆえの明るさと周囲に高い建物がないため、4階にしては思いのほか眺望がいいことが印象的でした。それなのに広いバルコニーの真ん中でリビングと寝室を間仕切る壁があって、外から降り注ぐ光を生かし切れていないように感じました。

 

そこで間取り変更を伴うリノベーションすることによってこの部屋の特色を生かしたライフスタイルを提案したい、そこに潜在価値を見出せるとの考えに基づいて一級建築士 田邉淳司氏に設計を依頼した、という経緯を辿っています。

完成した部屋の詳細については別のコーナーでご紹介しております。是非ともご参照いただき、弊社の目的が具体的にどのように生かされているか知っていただきたいと思います。

 

さて、ここで再びよくよく考えてみるに、部屋の特色を生かしたライフスタイルを提案するということは私たちの一方的な思いを押し付けることになるのでは?また、販売にあたって誰でもが望むお部屋ではなく対象となるお客様の範囲を狭めてしまうことにもなりかねません。

 

しかし、もともと不動産は個別性が強く、今回のNICEアーバン大森402号室も購入希望者がお二人以上いらっしゃっても、お売りできるのは一つだけです。このようなことを考慮に入れながら押し付けではなく、お客様により良いライフスタイルを提供するためには研究と努力を重ねていくことが不可欠です。そして、この分野ならタケイチバリュアブルが一番と言われる特色を持つことで、お客様の絶大な信頼を得られると考えています。

0 コメント

2015年

11月

06日

スマートウェルネス体感パビリオン

先日、すてきナイスグループで運営する「スマートウェルネス体感パビリオン」がオープンしたのを聞きつけ、さっそく訪問してきました。

横浜市の鶴見にある「すてきナイスグループ」本社と道路を挟んで真向かいにあるパビリオンを訪れると、かねてより親しくさせていただいている役員さんがにこやかに出迎えてくれました。

ご挨拶を済ませ、まず最初に別の社員の方の案内でシアタールームに通されました。そこで、かつて社会問題であった交通事故死が近年は減少傾向にあることに比べ、自宅内で心筋梗塞や脳卒中などの循環器の病気で健康を損ねる、また、場合によっては死に至る事態が増加しており、こちらの方が深刻な社会問題であることを知らされました。

 

それから約1時間半にわたって、快適な住空間を実現することで健康を増進することをテーマに、実際に触れて温度を確かめたり、数種類の木の香りでリラックス気分を体感したり、室温の異なる場所で血圧測定してみるといった、まさに「体感パビリオン」の名にふさわしく楽しい、そしてためになるひとときを過ごすことができました。

 

私なりにそこで学んだことを一口で表すと「病は気から」にあやかって「病の予防は空気から」とでも申しましょうか。もう少し具体的に言いますと室内の温度、湿度、浮遊物を如何にコントロールするかということです。

 

パビリオンでひととおり学習したあと、これらの設備、ノウハウを駆使した素晴らしいモデルルームで一休み。ふと、気付くと、快適な空間の中、案内していただいた役員さんと思い出話に夢中になってしまいました。

続きを読む 0 コメント

2015年

11月

04日

二重否定

アメリカで仕事をしていたときのことです。現地採用の部下に“Is it no problem? と質問しました。そこまでの会話の経緯から当然「ハイ問題ありません」との返答を期待していたところ、首を横に振って“No”と言ってきたので一瞬、面食らったのを覚えています。

 

日本語でも英語でも「~じゃありませんか?」といった否定形式の疑問文は普通に使うと思うのですが、日本語では「ええ、そうじゃありません」と答えるところ、英語では“Yes it is not” というのは考えられない論理であって、“No it is not”が同じ意味になるらしい。しかも首の降り方が90°変わってしまう。

 

私たちが普段、何気なく使っている日本語ですが異なる文化から見ると難しいようです。否定形式で質問されたときの返答に「ハイ」と答える論理は否定の質問をさらに否定して答える、つまり、二重否定であって、否定の否定は肯定となるとでも解釈するのでしょうか?

 

何だかこんがらがってきました。どなたかコメント書いて、Help Me!

 

0 コメント

2015年

10月

28日

バリュアブルの先にある夢

これまでマンションを中心にライフスタイルや住まいに関することをいくつか記してきました。そこには弊社がこれまでマンションに関わってきた経験から、マンションだからこそ起こりうる問題やマンション特有の優位性をクローズアップしてきたつもりです。そして、「バリュアブル」を合言葉に問題点については解決、または未然に防ぐための対策を所有者の立場で提案し、より価値あるマンションライフを実現するお手伝いができるような企業を目指しています。

 

ここで弊社の事業に対する姿勢として特徴的であり、私の「こだわり」が強く反映しているのが、「所有者の立場」という部分です。私は単に精神的な絆で所有者の皆さんと同じ立場でいようということではなく、本当に所有者の一人としてマンションの価値向上を目指していこうと思っています。本当に所有者になるために、マンションを実際に購入してきたし、これからも購入するつもりでいます。

 

そのための資金調達の手段こそが今回のテーマとした「バリュアブルの先にある夢」なのです。どなたか、ご自分がお住まいのマンションのうち、弊社が他の1室を購入した結果、マンション全体の価値が上がることを期待して弊社に出資していただけるようになれば最高です。

 

このような有難い資金で購入したマンションは間違っても疎かに扱えません。

これは大変難しいであろうことは認識しているがゆえに夢としましたが、目指す夢があってこそ同じ姿勢を維持していられると信じて頑張ります。

 

このコーナーでは、本音をつぶやくことが読んでいただいている方への礼儀だと思って付け加えます。

かっこ良く「使命」や「夢」を語る一方で、いつも誘惑に惑わされ、それと闘っています。

その誘惑とは、持っているマンションが高値で売れるとき、目先の利益を求めて売却したくなることです。

事業を継続するうえで、これも否定するわけではありませんが、決して第一の目的ではないことを心に刻み日々を過ごしています。

 

  

0 コメント

2015年

10月

26日

小さい秋

今朝は気温も下がり、急に秋らしくなってきました。

「誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが 見つけた」で始まる歌は皆さんの多くがご存知かと思います。その歌詞に「お部屋は北向き くもりの硝子」という部分があります。また、「わずかな隙から秋の風」とも歌っています。子供の頃ですから当然、不動産業とは縁のなかった頃でも、この言葉から悲しいというのではなく、むしろ「うら寂しい」といった感情が湧いてきました。そこには標準的日本人なら誰でも感じるであろう共通認識がたくさん存在していたのでしょう。

 

2015年秋、「小さい秋」で歌われたようなお部屋を見つけるには苦労するかもしれません。少なくとも弊社がご用意するお部屋に隙間風はありません。そして、かつて大ヒットした映画「Back to the future」で描かれた近未来が、今年の秋だそうです。

 

私たちは現在を生きているようで、過去から見た未来を生きているのかもしれません。

 

0 コメント

2015年

10月

14日

大田区は"太"田区ではない

大田区には大田という地名が存在しません。勿論、太田区ではないがゆえ太田という地名とは無関係です。大田というのは大森と蒲田の一字とってくっつけただけなのです。冗談で大森と田園調布から一字をとったと言ったら妙に納得されてしまい、慌てて取り消したことがありました。

 

大田区役所は蒲田駅のすぐ側にありますが、以前は大森駅から池上通りに沿って環七を越したところで、現在の場所に比べて少々不便に感じた記憶があります。

それでも区役所が大森から蒲田に移転するとき、大森にゆかりのある人が寂しさを漏らしていました。もともと大森区と蒲田区が別々に存在しており、それぞれ異なる個性があったのかもしれません。

 

そういえば区立中学の名前をみると、大森一中から始まって十中までありますが、なぜか九中はありません。蒲田では蒲田中はあっても番号を付けた中学校はありません。東蒲中がたぶん東蒲田という意味を含んでいるのかもしれません。

 

愛すべき混沌の町、大田区のほんの一面を書いてみました。

0 コメント

2015年

10月

13日

不動産取引に伴う消費税、その複雑な仕組み

このコーナーは不動産取引において正しく申告して納税しましょう、と訴えているのではありません。また、こうすれば節税できます、といったノウハウの話でもありません。弊社が毎年の申告で味わう苦労を愚痴としてぶちまけているだけです。あしあらず…

 

1.    不動産の売買において価格表示は内税です。通常、表記の金額には建物に対する消費税も含まれています。そして、土地については非課税で消費税はなし。ということは建物と土地の価格も明確にしなければなりません。

2.    一般的に個人は申告義務がないので表示価格に含まれている消費税の金額が不明瞭でも不都合はありません。しかし、同一の取引で相手方が弊社のような法人の場合、その立場から税額を確定しなければなりません。

3.    家賃等は住居に対するものは非課税で、それ以外の事務所、店舗、駐車場などには課税されます。

4.    オーナーチェンジ物件を購入したとき、そこから得られる家賃が課税の場合は購入時の消費税は通常どおり仮払消費税として仮受消費税と相殺しますが、家賃が非課税の場合は繰延資産に計上して複数年度にわたって償却するので仮受消費税との相殺はしません。つまり、投資用不動産の購入に伴う消費税(結構大きな金額)は居住用の賃貸マンションの場合とオフィスビルとでは消費税の処理が大きく異なります。

5.    課税収入にかかわる費用は課税対象で仮払消費税に計上するが非課税収入にかかわる費用は非課税なので仮払消費税から外す。その他、どちらか区別できない費用は課税売上と非課税売上の比率で按分します。

6.    管理費と固定資産税等は非課税ですがこれらの精算金については建物の比率に按分して課税対象とします。

 

フ~、この辺で終わりにします。

0 コメント

2015年

10月

07日

やっと見つけた使命感なれど未だ道のり遠く(創業秘話最終回)

1999年、手始めに相鉄線星川駅の近くにある38室の店舗と住宅が混在するビルを取得すると、家賃収入により資金繰りが安定してきました。その後、同じような規模のマンション10棟を購入し、建物の室内外にかかわらず不具合を補修したり、賃料の滞納常習者に対応したり、新しく自転車置場を設置して玄関先に乱雑に散乱するのを防いだりと、住んでる賃借人に快適な生活を提供する。一方で他のマンションよりきめ細かな管理を目指して稼働率を上げて収益性を改善し、投資対象として魅力を増して、これを売却することで利益を得ることができました。

 

今では、このような事業は弊社だけでなく多くの人々が手掛けています。しかし、1999年当時はあまり多くは見られず、競合相手がいない中で面白いように案件が見つかりました。

そのころ、私の頭の中にあった方程式は、購入時の利回り13%、売却時の利回り10%で取引することでした。

 

その他にも区分所有のマンション1室を購入してリフォームした後に売却することで利益を得るといったことも随分と手掛けました。ところが、いつまでも一人勝ちの時代は続きません。多くの企業が同様のビジネスに参画してきて、弊社のビジネスチャンスは小さく萎んできます。そこで打開策として出した答えは、その時点で最も利回りの高い物件を集中的に取得して売却益より家賃収入を主体に事業を組み立てることでした。このような意図で物件を物色した結果、川崎から横浜にかけてワンルームマンションを中心に150室所有していました。

 

次の転換点は都心部以外の低価格賃貸物件(ワンルームマンションもこの範疇)の将来性に疑問を持ったことです。急ぎの売却は考えていなくとも日本の人口が減少してゆくことが明白であり、住居が余り始めているときに最後まで価値が維持できるのは都心部ではないでしょうか?特に山手線の内側もしくは周辺部については利便性、希少性を考慮すると最も将来性の高いエリアであって、なるべく早く所有物件をこのエリアに移転しておきたい。との衝動に突き動かされました。

 

こうしてマンションを中心に所有者として、賃貸物件の貸主として、また補修、改修の工事業者として経験を積んできたことから想うこと、それは多くの物件が造りっ放しで朽ち果てる運命にあるのではないか?という焦燥感です。そこに社会における弊社の使命があるのではないか…

特にマンションにこだわる理由は、区分所有という特殊な形態による問題を的確に処理することができるという点で若干の誇りを感じています。

 

今の私は株式上場を目的としてはいません。マンションが持つ潜在価値が最大限に引き出されさえすればそれでいいのです。ただし、そのためには大変な資金力が必要です。株式上場はそのための手段として選択肢のひとつです。

 

この度は何話にもわたってお読みいただきありがとうございました。いろいろと記した中には私見が多く、賛同しかねることもあろうかと思います。そんなときはどうぞ遠慮なさらずにご意見、ご批判を頂ければ幸いです。

(おわり)

0 コメント

2015年

10月

06日

主力事業の交代(創業秘話6)

こうして建設業にチャレンジした私ですが、それなりの覚悟で臨んだものの、人並みの努力ですんなりと成功を勝ち取ろうとは虫が良すぎたようです。いろいろありましたが、結局のところ事業に向き合う私の姿勢は株式上場が目的になっており、そのための手段として見込みがありそうな事業であれば何でもよかったのです。そこには社会に対する使命感といった意識が希薄であって、何も建設業に固執する理由はありませんでした。一方で採算を度外視してこの建設業を続けていたら、資金面で相当の体力を消耗して弊社のポテンシャルが下がってしまったと思います。それだけは、避けなければなりません。

 

実際に創業期に多くの方に建物を新築するお話を紹介していただき、そのうち利益が見込める案件については受注し、完成するまで心血を注いで対応することにより施主にも満足していただきました。しかし、このように上手くいくことは年に1件程度でほとんどの案件は「仕事をやるから安くしろ!」といった態度で、非常識と思える値引きを迫ってきたり、支払条件として工事代金の90%を完成引渡し後10か月の手形などという、到底容認できないものもありました。この時期、役所の入札にも応じてみましたが、状況は同じです。

 

一番印象に残る案件は、品川区に店舗兼住宅を約6000万円で受注したときのことです。コンサルタントを本業とする会社が元請として受注し、そっくりそのまま弊社に丸投げ発注してきました。(建設業法で丸投げは禁止されている)そして、工事の途中に元請の会社が倒産。施主から元請業者に工事代金が支払われる際に同席して、弊社の取り分を回収しました。こうしているうちに受注工事は既存建物の改修、補修ばかりになり1件あたりの金額も小さくなり、忙しいのに利益がでない状況に陥っていきます。

 

さて、私は、使命感はなくても利益追求には神経が敏感に反応する体質のようでして、一旦、請負工事の受注に血眼になるのはストップ。これまで養ってきた工事の技術を購入物件を探す際の目として、また判断するときのマニュアルとして活用し、不動産の売買収益と保有期間の家賃収入との組合せによって利益を確保したいと考えるようになりました。

(つづく)

0 コメント

2015年

10月

05日

建設業者としての思い(創業秘話5)

元の社名が「タケイチ建設」であったことからもわかるように、当初、私は建設業主体で不動産業がそれを補完する事業形態を考えていました。建設業の経験が皆無だった私も覚悟を決めて一から勉強するつもりでいたので、当初1年間は会社のユニフォームである作業着を身にまとい現場に行くだけでなく、事務仕事や接客の仕事の日も、やはりノーネクタイでユニフォ-ムを着こんで出社していました。

 

ここで建設業の多重構造について簡単に触れておきます。ひとつの現場を元請業者が施主から受注すると、その現場の仕事は躯体工事、設備工事、電気工事、仕上げ工事等多くの職種に分かれていて、これら各業種の複合体として成立しています。そして、それぞれの職種ごとに一次下請けとして専門業者が請負い、以下二次下請け…と最終的に現場で作業に携わる職人に至るまで何段階か経ていることが一般的です。これをもって多重構造とご理解いただいたうえで、この構造の頂点である元請業者に求められる能力は以下のとおりです。

 

1.    他業種の複合体で、しかも多重構造である現場を管理する総合的な技術力および協力業者の組織力

2.    施主からの工事代金受領時期よりも下請業者への支払時期が早い場合でも立替払いできる資金力

3.    上記を駆使した実績を活かした営業力

 

ここで重要なことは、1番の技術力を持った人材がいれば機械や工場などの設備投資をしなくても仕事ができるということです。建設業に対する当初の目論見は、成田空港に出迎えてくれたTの技術力と父の人脈と個人的資金力によって事業化できると考えたのです。

(つづく)

0 コメント

2015年

9月

29日

設立手続から遠回り(創業秘話4)

話を再び1996年秋に戻します。成田空港からとりあえず私の実家に身を寄せ、そこから歩ける距離に用意しておいた賃貸アパートを自宅として荷物の整理のために通いつつ、同時に新会社の立ち上げの準備に取り掛かりました。本社所在地となるべく事務所を探し、社名を考え、必要な届出や免許の手続を進めるなど、やることはたくさんあっても希望に満ちた楽しい作業でした。

 

使命感も明確なビジネスモデルもないまま、とにかく走り出しました。唯一、遠い、遠い彼方にぼんやりとした姿が浮かんでいたのは、この直前に辞表を提出したばかりの父の会社の模倣でした。ですから、そのために不可欠な建設業免許と宅地建物取引業免許を取得しましたが、このうちの建設業免許を取得するために、既存の建設会社である落合工務店に資本参加(全株式を取得)するとともに、前経営者の落合氏を副社長として代表権者に残して19972月に旧落合工務店を引き継ぐことでスタートしました。

 

落合氏は古くからの父の知り合いで、この度の経営権の譲渡に際して誠心誠意の対応をしてくれました。また、私のほうでも落合氏が困らぬよう努めてきたつもりです。落合氏とは今でも良いお付き合いが続いています。それでも落合氏が2年程で弊社を去ったのはご高齢であったことだけではなく、それまでの自分の流儀と大きく変わったことに違和感があったろうと思います。

 

弊社としても本来であれば旧落合工務店の什器備品、技術力、所謂のれん等すべてを引き継ぐべきところ、建設業免許の要件を満たす部分のみ引き継いだに過ぎず、また後に建設業免許についても会社の方針から鑑みて更新を取り止めたことを考慮すると、まったく不合理な経緯であって遠回りをしてしまったと思います。

(つづく)

0 コメント

2015年

9月

28日

個人的な自意識からの脱皮(創業秘話3)

前回までは、タケイチバリュアブル不動産(当時、タケイチ建設)がスタートしたとき、私の胸にあったものの正体が自意識であった、というお話でした。

 

ところで、私は冗談半分で「社長業はいいよ!やりたい仕事だけ選んでいられるから。」と口にすることがあります。この意味は決して日常業務でやりたくないことを社内の別の人に押し付けることではなく、会社全体としての目的やそのための仕事のやり方、流儀を選ぶことができるという意味です。

 

あ~それなのに、私は浅はかにも自分の私的な自我=自意識と漠然としたビジネスモデルのイメージのみで経営に携わっていました。まあ、たとえそうであっても私的な自意識を満たすことだって、それが儲かれば何でもいいということではなくて、きちんと社会に貢献することに繋がれば決して悪いことではありません。しかし、上場という方法で広く社会から調達した資金であれば、その器である会社が私的な存在でなくなるばかりでなくビジネスモデルについても社会的な使命感を持つことが必然であって、むしろ、それを目的とするべきではないでしょうか?

 

正直に告白すると、弊社はこの使命感が欠落したまま彷徨していたのです。この度、このことに気付かされ、「マンションが持つ潜在的価値を最大限に引き出すことにより社会に貢献する」という目標を掲げ、それを実践する決意を新社名に込めています。会社の目的が明示されることにより、日々の業務にあたっての判断基準がはっきりするばかりでなく株式を上場することが目的ではなく手段になった。このことは事業計画を作成するうえで大きな転換でした。この新たな気付きに至るまで親身にご指導いただいたN氏に深く感謝いたします。

 

それでは、この彷徨える時代の失敗談を次回から何話に分けて記していきたいと思います。

(つづく)

0 コメント

2015年

9月

24日

実社会に踏み出すときからの「こだわり」(創業秘話2)

 前回の話で私の心の中にある熱いモノの正体とはいったい何なのか?臆する気持ちを抑えて簡潔にご説明しますと「株式を公開して大きな資金を調達し、ビッグビジネスを展開する」とでも言い表すしかありません。志と呼ぶには何とも稚拙で衝動的であり、今こうして皆さんの目に晒すことに抵抗を感じます。そもそも調達した資金を何にどのように使って何を成し遂げようというのでしょうか?そのようなことを後回しにして株式の公開に強く拘ったのには理由があったのです。


 さらに遡ること十数年、1982年の夏、私は卒業を翌年の春に控え、進路において大きな決断をしました。それは大学で専攻した物理学に見切りをつけ(そうせざるをえない、というか学問のほうで私を見限って)父の後継者としてビジネスの世界で生きてゆくことを選んだことです。当時、父の会社は東京証券取引所第二部に上場する準備に追われていましたが、その準備作業に限らず取引のあらゆる面で親密な関係であった「すてきナイスグループ」に入社しました。(そのご縁で現在でも様々な面でご支援を賜っています。)


 その後、1983年12月に父の会社は首尾よく上場し、数年を経て一部に昇格します。

このような環境の中で大学生の私は株式を公開することで大きな力を得ると同時に会社は創業者やその一族のものでなくなり、社会において公共性を求められことを強く意識し、血縁のみで己が後継者として名乗りを上げることの功罪など考えた結果の決断でした。

 

 話を1996年の成田空港に戻しましょう。私はハワイでの自分のやってきた仕事の成果(外部からの評価はともかく、自己評価ではそれなりに自信がありました)と株式公開によって得られる力を知ったうえで前述の志なる自意識を引っ提げて帰国しました。

(つづく)

0 コメント

2015年

9月

17日

「志」と思っていても、その正体は…(創業秘話1)

19961031日、妻と長男(11才)長女(9才)次女(6才)を連れて成田空港に降り立ったとき、「ここがこれから目指す道のスタートラインなんだ!」という想いが込上げてきて軽い興奮を覚えた記憶があります。

 

ホノルルでの6年間の暮らしを清算して全てが新しく始まる。もどかしい感覚の中、入国手続を終えて出迎ロビーに漸く辿り着くと、そこでは私の両親と妻の両親、のちにタケイチ建設で常務の重責に就くことになるTの笑顔が一斉に目に飛び込んできました。

 

私はこの時点で既に仕事を通して成し遂げたい志があり、それを実現するためにタケイチ建設という会社を造り、前述の「これから目指す道」を走り出すことになります。当時を振り返り、そこから今日までの道のりを辿ってみることで弊社の経歴(わずか20年足らずですが)をお伝えできればと思います。


そこにはお恥ずかしい失敗談もたくさんありますが、お読みいただく方が退屈しないよう正直に書きます。どうぞよろしくお願いいたします。


(つづく)

 

0 コメント

2015年

9月

14日

山手線クイズ

山手線は東京という大都会の中にあって、「その中心部はここだ」と言わんばかりに環状に走っています。環状であるがゆえに通常の上り、下りではなく内回り、外回りと呼ぶところも他の電車と違って威厳を感じます。山手線の内側はその利便性と希少性において特別に価値がある。または、将来において価値が目減りしないだろうと考え、この数年はこのエリアを積極的に物色してきました。

そこで、肩の力をひとつ抜いて、山手線に因んだ以下のクイズにお答えいただきコメント欄にご記入頂ければ幸いです。

 

問1           山手線は「やまのてせん」と発音しますが昭和50年代頃までは「やまてせん」と発音していました。この頃、山手線に愛称が付けられましたが普及せず、いつの間にか誰も使わなくなりました。この愛称とは何でしょうか?

 

問2           ある外国人が東京に旅行で滞在し、ひとりで山手線に乗って用事を済ませてホテルに戻ってきました。そして知人に自慢げに乗った駅が“Three box and three line”で降りた駅が“K and A”だと言っています。この二つの駅名は何でしょうか?

 

問3           山手線は最初から環状だったわけではなく、平仮名の「?」の字に似ていたそうです。そこで?のところに何が入りますか?

 

以上

0 コメント

2015年

9月

08日

重陽の節句

 99日は重陽の節句ということで菊にちなんでお祝いする日らしい(または邪気を払うという説も…)。

節句といえば33日の桃の節句、55日の端午の節句が有名なのに比べると重陽の節句はあまり一般的ではありませんね。


 99日にふさわしい記念日は何だろう、と頭を捻ってみると「掛け算の九九」をおもいつきました。重陽と節句に関連性はないのか?と調べてみると、一応それらしき理屈は見つけました。

 古来より陰陽道において奇数は陽、偶数は陰を意味していて、一桁で最大の奇数である九が重なる99日が重陽の節句となった。掛け算で一桁最大数である九が重なる「九×九=八十一」と発想の原点は同じかな?

 

ちょっとこじつけっぽくなりました。

0 コメント

2015年

9月

07日

お受験マジック

 若き青春時代に誰もが経験するのが入学試験。そのために模擬試験で腕試しすると思います。模擬試験も良い成績であるに越したことはありません。でも試験の結果はきまぐれで時にそれまでの努力を称えてくれると思えば、非常な事実を眼前に突き付けてくることもあります。


 試験の結果を評価する数値として「偏差値と合格率」があり、これらによって一喜一憂することとなります。

自分自身のときの記憶は遠い過去の彼方に消え去ってしまいましたが、我が子の受験のときは、モチベーションを維持するため、いろいろと考えて慎重に言葉を選んで対応しました。

「偏差値は順位が真ん中の人から上に(または下に)どれだけずれているかを表しているので母集団のレベルによって変わってくる。今回の模試では実際の試験では手が届かず受験しない人も志望校として登録しているだろうから実際の試験より母集団のレベルが下がっている。偏差値が良くても油断できない。」


 そして、いよいよ本番。例えば合格率25%の学校を4校受験したとします。最初の試験で失敗し不合格になると本人も周囲も自信をなくして落ち込みますが、さにあらず。

「合格率25%とは4回受けて1回受かるんだから、3回は落ちで当り前。先に落ちておけば後の試験は落ちにくいので頑張れ」

 

てな調子で言ってはみたものの親の言葉でどうこうなるほど生易しくはありません。

入学試験に限らず、試験となれば子供にとっても大人にとっても、やっぱりドキドキものですね。

    


0 コメント

2015年

9月

02日

苦手な英語も努力次第

学生の頃、英語の学習には本当に苦労しました。そもそも英語に限らず「言葉」というものには背景に豊かな文化があり、ひとつの単語には成り立ちから有名な使われ方、国民性や習慣またはその国の歴史からくるイメージがあって、それらをある程度理解して初めて本当の意味がわかってくると思います。ですから”wood”=『林』というように単純に1対1で対応しているわけではなく、場合によって『森』であったり“bush”であったりします。例えが稚拙で恐縮ですがなんとなくご理解いただけたのではないかということで話を進めます。

 

このことに気づかされたのは32歳から約6年間、仕事でハワイに赴任して英語に接する機会を得たことによります。それまでの私は翻訳するにも暗号解読するような意識しかなく、前述の豊かな文化など頭の片隅にもありませんでした。

 

このときに、もう一つ世間で言われている常識で大いに疑問に思ったことがあります。

それは、「子供は何の苦労もなく語学を修得できる」と思われていることです。子供も大人も修得するまでの努力は同じのような気がします。ただし、その学習環境には確かに差があって大人には逃げ道、言い訳が沢山思いつきますが子供はひたすら順応せざるをえません。

 

「バイリンガル」という能力があります。ごく簡単に二か国語が使えることという意味です。では、どの程度の会話が可能な人を「バイリンガル」と呼ぶのでしょうか?まさか挨拶程度はできるが買い物やレストランで注文することも覚束ない人はその名に値しないでしょう。

でも日常会話はパーフェクトでも契約行為等の知的会話ができないハワイ育ちの日本人もいました。この人の国籍は日本でありながら内閣総理大臣が国会において議員による間接選挙で選出される、いわゆる議員内閣制についての知識がなくUSAの大統領選挙では国籍(市民権)がないため選挙権がありません。そこに海外で子育てすることのリスクを感じました。

0 コメント

2015年

8月

26日

命名することの意味

弊社は今年6月1日をもって社名を変更しました。その過程であれや、これやと真剣に考えさせられることが多く、これから弊社が何を目指そうとしているかを自覚するための契機となりました。20年前に旧社名を決めるときよりもエネルギーを使ったかもしれません。

 

私には3人の子供がいます。既に成人して、それぞれ自立していますが生まれてきた日のことは3人とも鮮明に覚えています。そして、どのような想いを込めて名前を付けたかも機会あるごとに本人たちに伝えるようにしています。

 

私自身が生まれたときのことは当然、記憶にありませんが、父の名前が由来であることは明白です。愛情と期待を込めて自身の名の一字を使うのは珍しいことではありませんが、私の場合、父の一雄から二文字をもらい、そのままだと同じ名前になってしまい区別するのが困難なのでひっくり返して雄一としたのでしょう。わざわざ、ひっくり返すという配慮をしてもらったにもかかわらず、何かと混乱を引起し、苦笑もしくは談笑の種になりました。

 

かつて賃貸マンションの一棟全体を購入したときも、子供たちに名前を付けたときと同様に思いを込めて一所懸命に頭を捻ってマンション名を決めました。そして、手塩にかけて整備、改修した物件に対しては思い入れが芽生えていて、売却する日が来ると、寂しさを感じざるを得ませんでした。そこには子供を一人前に育てることと通じるものがありました。

 

昔から「名付け親」という言い方があります。名前を授けるということは親の役目の一端を担うことかもしれません。

0 コメント

2015年

8月

25日

住まいの買い替え②―高く売って安く買う―

前回に続き買い替えのお話しです。

 

今まで住んでいた家の売却はなるべく高値で、これから住もうとしている家の購入は出来る限り安値で取引したいと願うのが普通です。

それでは、どうすればそんなことが実現できるのでしょうか?

 

様々なテクニックを駆使することも可能ですが、原則的には不動産価格には相場の波があって上がったり下がったりするのを上手に利用することが大切です。一番簡単なことは、相場が上がったときに売却して相場が下がるまで待って購入することです。こうして、その間は賃貸住宅など仮住まいで我慢する。(これをケース1とします)。

 

ところで、この相場の波は全国一律に起こる現象ではなく、エリアによって早くやってきたり遅くやってきたりするようです。これを利用すると、早く値上がりしたエリアの物件を売却して、まだ値上がりしていない(値上がりし始めたばかりの)物件を購入する方法もあります。(これがケース2です)。

 

どちらも経済的(というか金銭的)な面ばかりが重視されていいて、ケース1では住替えのタイミングを犠牲にします。お子様の成長に伴い現在通学している学校の近くで引越そうと思ったがタイミングが合わず卒業してしまった、なんちゃって。ケース2では港区の物件を売って大田区の物件を買うなんてときに起り得る現象です。そして、この場合も住みたいエリアに住むことを犠牲にしなければならないこと覚悟しませんとね!

 

いろいろなパターンが考えられますが住馴れたお気に入りのエリアでタイミングよくグレードアップの住替えを考えたとき、売却が高いときは購入も高いのです。

そう考えてゆくと、本当に幸せな住替えとは???

「本来なぜ住替えたいと思ったか、という理由に忠実になってみること」が必要と思います。これって当り前のことで、わかっている人には必要のない長文でした。

 

0 コメント

2015年

8月

24日

住まいの買い替え―売って買う―

一般論で申し上げます。当てはまらないケースもあろうかと思いますが、ご容赦願います。

若くして初めて住宅を買う人は住宅ローンを目一杯使って、あとは頑張って働いて、頑張って節約して、子育てしながら自分自身も成長していくといったシナリオが頭に浮かびます。

今回は持っているお住まいをバージョンアップするために買い替えるときのお話です。

今まで住んでいた家の売却とこれから住もうとしている家の購入をほぼ同時にしなければなりません。そのとき、売却して受取る代金を購入資金の一部に充てるので売却が先に完了しないと購入できません。ところが、売却を完了するには引越して空家にしないといけないので売却代金分を一時建て替えるか、それとも売却物件を空家にするために一時的に仮住まいに引越して新居の購入後2度目の引っ越しをする方法のどちらかしかありません。

弊社が企画販売しようとする物件を購入いただくときも、このようなケースが考えられます。そこで、お客様の便宜を図って買い替えをスムーズにするためにタケイチ買い替えプランを用意しました。ご参照ください。

 

「タケイチ買い替えプランのご案内」

0 コメント

2015年

8月

21日

幸せな「住まい選び」

新しく住まいを購入する理由は人それぞれです。ある人は結婚を機に親御さんの元から独立し自由と引き換えにゆとりを失い、また、ある人は転勤で初めて暮らす土地柄に不安と期待が交錯したり、といった具合で、ここで事例を挙げたら時間がいくらあっても足りないですね!それでも多くの人はこれからの幸せな生活を夢見て新居を探すのだろうと思います。「幸せって何だろう幸せって何だろう」「○○がある家さ」

とりあえず家相占い等は専門外ということで話題から外します。何を幸せと感じるかも人によって異なるようです。それでも、より多くの人が幸せと感じる条件、たとえば交通機関においての利便性、周囲の環境の安全性や安らぎ、建物の構造や各種設備などが整っていれば多くの人がそこに価値を見出し。結果として価格が決まるんですよね。

前置きが長くなりましたが、それでは高額なお住まいが必ず幸せを連れてくるのでしょうか???

可能性というか確率的なことを言えば答えは“Yes”かもしれません。でも、必要以上に高額な住まいを取得したばかりに借金まみれになり、求めきた「幸せ」とは正反対に奈落の底に引き込まれるケースだって沢山みてきました。また、あるエリアは公共交通機関から離れていて、あまり人気がないお住まいでも、年老いた親御さんが近くにいて、お見舞いに訪ねるには大変便利だったり、もし、その方は自動車が大好きで、どこへ行くのも自分で運転していくようであれば尚更のことです。

タケイチバリュアブル不動産株式会社は物件の価格のみでマンションの価値を判断してきた過去から脱皮したいと考え今後、様々なことを試みていきたいと思います。住を通して、一人一人に最適な価値が提供でき、多くの人の幸せに関われることに挑戦してゆきたいと思います。

 

 

0 コメント

2015年

8月

07日

本音で語る「住まい選び」

若い頃に先輩から教えていだいた事、研修等で身に着けた事はいろいろありますが、その中のひとつに「お客様の潜在ニーズを顕在化して差し上げる」という営業スタイルがありました。今回はそのことについて本音を漏らしましょう。

住まいを探して私どものところにいらっしゃるお客様にも、転勤、ご結婚、お子様の誕生や入学、家族構成が変わることによる住み替え、現在の住まいに対する不満など事情は十人十色。しかも、探している物件も賃貸住宅か販売用住宅か?マンションなのか戸建なのか?そこに先に挙げた十人十色の事情とライフスタイル、嗜好、そして予算が絡んで取捨選択が行われ最終的に選ばれた物件の鍵と権利書を受け取って、この大きな買い物は一応終止符を打ちます。この過程においてお客様は最初からご自分の事情を話さず、ただひたすら欲しい物件の条件を挙げられることが多いようです。お客様もご自身のことですし大きな買い物ですから真剣に、かつ慎重にご自分の事情と物件の条件とをマッチングさせようとされます。このとき予算が十分な方なら問題ありませんが、多くの方は100%マッチさせると予算オーバーとなり、条件に優先順位を付けて予算内の物件の中で取捨選択をせざるをえません。(あるいは最初から予算が決められていて、その中で条件を取捨選択する場合が一般的かも…)

このときに、それまでのお客様との接触でお客様以上に冷静かつ正確にニーズを掴んでいることが前提条件。でも、これで全て解決するわけでなく、自分として自信を持ってお薦めできる物件をお客様自身のために強く説得できるか?これも大切な要因となります。

振り返ってみると、私自身はこの点において決して優秀とは言い難く、なかなか実践できませんでした。そして今、考える事は弊社の事業の中心が「目の前にいらっしゃるお客様のためにマッチングする物件をお探しすること」より「まだお顔を見ていませんが確実に弊社のマンションで喜んでいただけるお客様のために最高の条件をそろえて提供すること」にあります。随分と回りくどいお話で恐縮ですが、具体的には前回のブログでIが書いてくれたことです。私がやっていきたいと考えることを実践し実現してくれる社員に感謝の念をもってエールを送ります。

0 コメント

2015年

8月

04日

似ている地名

江戸時代の俳人、松尾芭蕉はご存知「奥の細道」を旅するにあたって千住を出発地と記しています。東京メトロ日比谷線に乗ると南千住駅があり、隣の駅が北千住です。千住に南と北があっても不思議はないのですが、南の千住は荒川区で北の千住は足立区で、その間に隅田川が蛇行して流れています。

東京都大田区を走る東急多摩川線に下丸子という駅があります。この小さな駅の側には経団連の“お偉いさん”を輩出するほどの大企業があって朝夕通勤で混雑します。一方、この駅から3駅、北上して終点の多摩川で東横線に乗り換えて横浜方面に1駅行くと新丸子という駅があります。ここは川崎市であり、これら2地点の間にも東京都と神奈川県を分ける多摩川が流れてます。

詳しく調べたわけではありませんが、かつては同じ集落だった地域が台風など大雨が降って川の流れが変わってしまったために分断されたと想像することは難しくありません。

もう一つお付き合いください。品川区の大井町駅の側に「仙台坂」という地名があり、その由来は、やはり、そうです。独眼竜の異名で知られる伊達政宗を藩祖とする仙台藩の下屋敷があったそうです。下屋敷があるなら上屋敷もあったのでは?と調べてみると見つけました。港区麻布十番の近くに仙台坂の名を!こちらは川との係わりはないようです。

 

0 コメント

2015年

7月

30日

武相堺道

かつて横浜市泉区に住んでいたことがあります。引越してすぐに子犬を貰ってきました。そして、1411か月で息を引き取ると、すぐに私にとっての故郷というべき大田区に舞い戻ってきたので、「住まいの想い出≒犬の想い出」です。その子犬もすぐに成長して25㎏になり、15年間お散歩のパートナーを務めてくれました。よく歩く犬で休日ですと2時間程歩くこともありました。散歩コースも何通りかあって、そのうちの一つ、「子供自然公園」の中を歩いていると、小さな石票が建っていて「武相堺道」と刻まれています。聞きなれない言葉に、はて何だろう?と立ち止まって考える。側にある看板に答えが書いてありました。明治時代の廃藩置県以前の話でしょう。今歩いている道は「武蔵の国」と「相模の国」を分ける径だったのです。横浜市に住んで間もない私にとって地元の歴史を身近に感じた瞬間で浅い興奮が芽生えました。でも、このように感じたのは家族の中で私だけ。他には誰も興味を示しませんでした。

0 コメント

2015年

7月

28日

権利書に絡んだ苦い体験

テレビドラマの一幕です。如何にも強欲そうな中年男性が借金を返済できない主人公から不動産の権利書をむしり取って悠々と引き上げてゆくシーンを見て子供心にそういうものか、との印象が刻まれています。それは、和紙にタイプできちんと印字され、そこに朱色の印影が鮮やかに押してある。あるいはその書類を保護するための立派な厚紙の表紙がかけてあって、そこには例えば唐草模様の縁取りがあったりして、そんなイメージです。

権利書とは何でしょうか?それは、前の所有者から自分の所有になったことを法務局に保管されている登記簿に登記するときの届出書が登記完了の証に返還されたもので、売却等で次の所有者に権利を移そうとしたとき、その新たな事実を登記簿に再度登記するために必要な重要書類である、というのが私の理解です。司法書士さん、もし間違っていたら遠慮せず指摘してください。そして、平成19年から20年頃にかけて登記簿の電子化に伴って「登記識別情報」という新しい形式に変わってきました。でも、それ以前の書類が無効かというと、そうではなく、それ以前のものは次の登記に使われるまでは有効です。

実際の不動産の取引では売買代金と引き換えに権利書を含む登記に必要な書類をすべて渡して、いつでも登記できる状態にするわけですが、このときになって権利書が見つからないことや権利書ではない書類または不完全な書類をお持ちになることがあり、その都度、私自身の未熟さを反省して今日まできました。権利書と間違いやすいものとして、その不動産の登記簿謄本。これは登記簿に記載されている事柄を証明するものです。その他、所有権移転ではなくて、たとえば抵当権設定の登記申請書類とか、一戸建ての土地と家屋が別々の権利書になっていて、その一方のみとか。特に登記簿謄本は該当する不動産のことが所有者の名前など、きちんと表記されているので間違われやすい。それでは不動産はなぜ登記するのでしょうか?若い頃に資格取得のために一所懸命に勉強したことによると「登記記載事項は第三者に対する対抗要件であるが、必ずしも真実とは限らない」はずです。取引の当事者間で売買が無事に完了しても第三者にその事実を主張するには登記しなければなりません。そう考えると登記簿謄本は第三者に見せるためのものであって、その不動産の状況を調べたい人は誰でも取得できるわけです。売買に際して本当の売主であることの証としては不適合なんでしょうね。

0 コメント

2015年

7月

27日

「住まい選び」では!

「住まい選び」の要件は価格、広さ、間取り、付属設備、建物の構造やグレード、築年数など物件自体の特性に加えて周辺環境、交通の便など様々なことが挙げられます。これまで私がお客様の「住まい選び」をお手伝いすることで感じたことをまとめてみました。

 

1) 不動産取得税は忘れた頃にやってくる。半年から1年後くらいが多いようです。

2)エリアの選択の優先順位はお子様の通学など教育環境が一番で次にご主人様の通勤というケースが多い。

3)就学以前の小さなお子様の医療費の補助、保育園の空き状況などは市区町村によって、かなり異なる。対象となりそうなご家族は事前に調べて比較してみては!

4)ご売却の際、物件の権利書(と一般的に呼ばれている重要書類)を紛失されている方が意外と多い。

 

ということで次回は権利書にまつわるお話でお茶を濁してみたいと思います。

0 コメント

2015年

7月

24日

住まい選びとは?

「衣食住」のうち「衣」はファッション性の前に防寒などの体温調節など生きてゆくうえで必要なものです。「食」も生命維持の物理的な条件として必要不可欠です。また、どちらも、ただ生命維持のためだけでなく、それぞれ人類が育んだ文化として発展してきたことは言うまでもありません。しかし、これらは社会的な現象として流行があったとしても基本的には個人の問題と捉えるべきでしょう。それに比べて「住」は個人の生活空間と捉えるより家族の空間であり、近隣の人たちとの関わり合いもあり、地方公共団体への登録などを経て社会的なアイデンティティーに大きく関与しているように思います。人はホームレスでも生きていけます。社会的な繋がりが煩わしいとき旅に出て、それが限界を超えるとホームレスという生き方を選ぶのではないでしょうか。

また、与えられた住環境によって生活が大きく影響されることも現実です。「住まい」を選ぶことは家族を思い、地域を選び、その社会の一員となるといった社会性の極めて強い行動だということです。

0 コメント

2015年

7月

23日

「衣食」と「住」

「衣食住」という言葉があります。生活の基本的な要素を言い表していますが、中国の古いことわざに「衣食足りて礼節を知る」とあります。確かに「住」が抜けても礼節を大切に考える方は沢山います。と書いて、待てよ!日本の住居については満足度の点で十分でないケースが一般的だった時代が永く続いているけど、もしも全く定住地がないと住民票をはじめ公的諸手続きに支障をきたすと思いませんか?私自身の経験でも約20年前に仕事で赴任していた海外から帰国した際、探しておいた賃貸住宅に家財道具を運び込んだら、真っ先に住民登録を済ませ、当時、小学生だった子供たちの転入手続、妻と私の年金手続、健康保険の手続、それから運転免許証の再交付、宅地建物取引主任者(今は取引士)資格を有効にする手続などとつづきますが、いずれも住所が確定している必要があります。

古代中国では善政を施した王朝においては戸籍上の人口が増加した、というようなことを歴史の時間に先生がつぶやいたことが記憶に残っています。何やらマイナンバー制度の導入を控えた現代の日本に通じるところがありますよね。

0 コメント

2015年

7月

22日

池上本門寺

前回、池上線は池上本門寺の参拝客のために敷かれた路線と書きました。そこで池上本門寺について少しつぶやいてみます。このお寺は日蓮宗で毎年10月の御会式(おえしき)には大勢の人々が夕刻から夜にかけて参拝します。夜空に万灯が美しく舞い、夜店が賑やかに軒を連ねます。何故か?この日は雨天が多いと言われています。

日蓮宗の開祖は鎌倉時代に活躍した日蓮上人です。この方が最晩年に本拠地の身延山から旅に出て途中に立寄った信者の邸で病が重篤となり、ついに亡くなられたのが池上本門寺に隣接する(今は大坊と呼ばれるお寺がある)ところです。そして日蓮の最期を看取ることになった信者の名が池上宗仲(この地方の豪族)ということで、この人によって池上本門寺が建立されたとされています。

0 コメント

2015年

7月

21日

目蒲線と池上線

私にとって故郷といえる街は幸い大きな災害にも遭わずに子供のころと景色は変わらないと思いきや、やはり、この年齢になるといろいろと変化が見られます。その中でも鉄道の延線や路線変更、それに伴い乗り換える駅が変わったりする、といったことが実生活に一番大きく影響するところでしょうか?

そこで今回は一番馴染み深い「池上線」と「目蒲線」について少しつぶやくことに!

昔、目蒲線という電車が蒲田と目黒の間を走っていました。今では途中の駅「多摩川」で目黒線と多摩川線に分断されています。この「多摩川」という駅も以前は「多摩川園」という駅名でした。そして、蒲田駅では目蒲線(今では多摩川線)と仲良く並んで池上線の車両が停車している風景は今も変わりませんが、どちらも、あの全身が緑色の車両ではなく涼しげな銀色に緑色のラインが入ったものに変わっています。だから何?昔の車両は冷房設備がなかった。これら兄弟のように見えるふたつの路線もその歴史を調べてみると、目蒲線は目黒から沼部までが開通し、それから伸びてきて蒲田に辿り着いたようです。一方、池上線は池上本門寺の参拝客のため蒲田から池上までが開通し、それから五反田まで伸ばしたそうです。開業当時は運営する会社も違っていたようです。

0 コメント

2015年

7月

16日

故郷は遠きにありて・・・

引越しを7回した私にも故郷として意識する場所があって、産まれた家があった町と小中学校時代を過ごした家のエリアの両方に地元意識を強く感じます。今の自宅からそう遠くないので用事があって足を運んだときは、つい寄り道がしたくなり、あのお店はまだあるかな!とか昔と景色が変わったけどあの頃は何が建っていたかな!なんて

今日は久々に中学校の先輩のお店であの頃の友と語らう予定です。大人になって地元を離れても続く交友関係。これも絆ですね。

0 コメント

2015年

7月

15日

束の間の尊敬

お読みいただく方のお気持ちとは関係なく、私事を書き連ねてしまい退屈させてしまうかもしれません。私は生まれてから今日まで引越しを7回経験しています。(つまり8か所に住む)これくらいのことでしたら何も改めて話題にすることでもないのですが、「引越し」の理由というか内容を思うと少し特殊かな?

まず、子供時代は親に付随して2回引越しました。父は事業主だったので転勤ではなく父の事業の盛衰に伴うものでした。そして、次に結婚して親から独立したときにマンションを購入、初めて不動産を所有しました。それから私自身の転勤で(海外も含めて)2回、その後は子育てなど家庭の事情で2回、自宅を買い替えています。

普段は家庭において存在感を主張しない私も自宅の購入でチラホラ見せるプロとしての裏ワザ、凄ワザで束の間の尊敬を勝ち取ることになりました。

 

0 コメント

2015年

7月

14日

備えあっても憂いあり

大地震への備えはどこまでやれば十分かなんてことは、鯰に訊いても誰に訊いても答えは分からない。それでも、やっぱり少しでも安心できるようあれこれ考えてみました。

想定した以上に強烈な地震に見舞われたとき、起こってしまった被害を最小限にとどめるには、マンションの住人に限らず周辺住民と助け合うのも大切ですよね。そこで予想される問題が住民同士の絆ができていないこと。これは常日頃からのお付き合いが希薄なこともあるのでしょうが、ここで一つ、マンションライフの特徴について考えてみました。

マンションはひとつの建物を専有部分と共有部分に規約によって分け、その共有部分を管理組合という組織を結成して共同で協力して管理してゆきます。つまり管理組合のメンバーは同じ資産を共有するという意味で運命共同体ですから本来なら強い絆で結ばれてもよさそうなものです。しかるにマンションの管理組合は各部屋の所有者の組織であって、実際にそこで暮らす住民とは限りません。マンションを買って所有していても他の人に貸しているケースです。また、所有者が実際に住んでいても地域の行事に消極的だったり、地域の仕事は管理会社にまかせっきりということはないでしょうか?必ずしも、そうばかりではないでしょうが、災害時に管理組合が機能する工夫はないでしょうか!


0 コメント

2015年

7月

13日

転ばぬ先の杖

最近、日本の各地で地震や火山の噴火が起こっています。「起こる」と「怒る」は同じ音ですね。誰かが何かに怒って地震が起こった、なんてオヤジギャグで肩の力を抜いて、実はマンションの地震対策について真面目に考えてみました。

まずは建物の構造に注目すると、「免震」とか「耐震」とか「制震」なんて表示があります。どれも地震に備えた構造だとは思っていましたが、それぞれ、どういうもので、どこが違うのかを極々簡単に調べてみました。

建物の強度を増して地震に対抗しようとするのが「耐震」であって、これに対して「免震」は地震の揺れを建物に直接伝えないように、基礎と上部構造の間にアイソレーターという免震ゴムを配置するそうです。「制震」は建物の揺れを小さくするという意味で「免震」に考え方が似ていますが、その方法としてダンパーという部材を建物の内部に配置するそうです。

どの方法が最適か?については建物の規模や条件によるので軽々しく断定することはしませんが、転ばぬ先の杖。怒(起)らないかもしれないけど用心に越したことはありません。

0 コメント