ブログカテゴリ:社長のつぶやき


18日 2月 2020
 不動産の価格には実際に取引される価格の他に役所で決めた価格があります。具体的には固定資産税評価額、公示価格、路線価格の三つです。これらは異なる役所の管轄であり、価額も一致しませんが互いを目安として影響し合って価額を決めていると思います。それでは実際に取引される価格はどのようにして決まるのでしょうか。不動産は工業製品と違って一つ一つが異なり、厳密には同じ物件は存在しません。ただし、同じマンションの同じ間取りの部屋など、わずかな条件の違いを除いてほとんど同じであって、その条件の差異を価格の差異に合理的に反映させることで売り手と買い手の双方が納得するという場面はあり得ることです。  ここで大切なのは、「売り手と買い手の双方が納得する」ということであって、それまでの過程において前述の役所の価格が参考に使われることはあっても、それらに制約されるものではありません。むしろ、実際の取引価格の変動を反映して役所の価格が決まるのです。それでは「売り手と買い手の双方が納得する」という状況が成立するための要件について考察してみましょう。  まず、売り手の立場から考えてみると、当該物件を保有しておく必要性が希薄になってきたか、もしくは(かつ)手放すことに経済的合理性を見出したときです。経済的合理性とは、物件を必要としていても他の理由でやむを得ず売却代金を充当せざるを得ない場合もあれば、経済的により有利な資金需要が発生して、そちらに積極的に資金を移動する場合などが想定されます。  次に、買い手の立場を考えると、物件を取得する必要性が高まってくること、かつ取得するためのコスト(売買代金および諸経費)の調達(自己資金、融資)が可能であるといった経済的要件を満たすこと。ここでいう取得する必要性とは、生活スタイルの変化で広い家に買い替える場合もあれば、余剰資金を活用して資産を増やす場合なども想定しています。  こうしてみると、売り手も買い手も経済的な要件は個々人の問題ですが、物件の必要性についてはどちらの立場からみても共通な要件です。そう考えると、誰からも必要と感じられる物件ほど取引の成立のための重要な要件であり、価格も上昇するといった当たり前の結論がでてきます。ちょっとした頭の体操でした。
12日 2月 2020
 つい最近まで新年のご挨拶をしていたような気がしますが、いつのまにか陽射しに温もりを感じるようになってきました。暖かい日が数日続いたと思えば、また寒さがぶり返すといった、いわゆる三寒四温の季節です。このように書き出すと「三寒四温」について…...
03日 2月 2020
 2月2日㈰午後9時、この頃の私はこの時間になると瞼が重くなり、うとうとと眠ってしまうことが多くなりました。そんな時間帯に熱心にテレビ番組に見入ってしまいました。そのテーマは「お酒」です。その内容をサラッと説明すると、人類の祖先が樹上生活をしていた頃、いつも豊富な食糧に恵まれていたわけではなく、ときには普段は口にしない自然発酵した果実を食べることもあったということです。そんなとき、生まれつきアルコールを分解する酵素が多い体質の個体は酔っぱらうことがなく外敵に対応できますが、その逆の場合は生き残れなかったということのようです。かくして太古の人類は皆、お酒に強い体質だったとのことです。  やがて人類が進化して文明を築くようになると酒の効用で脳内にドーパミンという快楽をもたらす物質を過剰に分泌することを覚え、良くも悪くも生活に欠かせない飲み物となったということは周知の事実です。また、ビールのような地酒を主食としている部落を紹介していました。この人たちは生まれつき体内にアルコールを分解する酵素が大量に存在していて、大量の飲酒による弊害が起こらない仕組みになっているそうです。(羨ましい) 一方、私たち日本人を含む東アジアにおいては一部の人にアルコールを体内で分解しきれず、すぐに酔っぱらったり、二日酔いに苦しむ人たちが見受けられます。こういった現象は欧米やアフリカなど他の地域では見られないことです。これには諸説ありますが、番組で紹介されたのは、稲作が盛んな地域に限って、このような現象が見られる。その理由として、アルコールが完全に分解される前の中間物質として生成されるアセトアルデヒドの働きが挙げられます。それは、人体にとって毒性の強い物質ではありますが、稲作に適した湿地に暮らすものにとっては別の意味で人体に悪影響を及ぼす微生物に対して薬の役割を果たしたとのことです。毒を以て毒を制す。 そして、これからの人類とお酒の関係について予見しています。お酒を経験したことのある脳は、その味や匂いが同じであれば、アルコールが含まれていなくても飲酒と同じリラックス効果などが認められるということがわかってきました。ビールをはじめとするノンアルコール飲料は、まさしくお酒の利点のみを引き出す理想のお酒になり得るというお話しでした。 私も若い頃はお酒で失敗しました。それだけに、この話題は非常に興味深く、ここに取り上げた次第です。皆さんにとってお酒とは???
29日 1月 2020
 このコーナーで独り言を呟くようになって数年が経ちます。「昨年の今頃は何を想っていたろう」と調べてみると「インフルエンザの流行」をテーマに選んでいました。やはり、この季節はこの話題がタイムリーであることを確認しましたが、今年はもっとセンセーショナルなニュースが世界を駆け巡っています。...
20日 1月 2020
 阪神淡路大震災が起こったのは、25年前の1月17日未明でした。多くの人が被害を被った大災害でしたが、25年を経て被災地の復興について語られるようになりました。そこには多くの関係者が苦難に立ち向かった姿があったと思います。そんな話題をテレビでも特集番組で取り上げられ、私も身を乗り出して見入ってしまいました。それは、「土地の境界がめちゃくちゃになってしまった被災地一帯を復興させるには、まず何よりも先に測量することが重要である。そして、阪神淡路大震災において六甲山に残る基準点のズレを確認し、そこから神戸市街の復興が始まった。」という内容でした。  確かに、その通りです。災害時に限らず、何か建造物を建てるときも、売買など、土地を取引するときも測量が必要です。また、都市部の土地価格は大変高額であり、ほんの数センチの差が生じても数百万円、数千万円の違いとなることもあって、測量において、その正確性は非常に重要です。測量技術は日々進歩していて、今はレーザー光線で距離を測定するのが当たり前になっています。ときにはGPSシステムを活用することもあるそうです。  しかし、古い登記簿に記載されている土地の面積は、正確とは言い難い場合が多いようです。そのような事情を反映する面白い言葉が残っています。測量機器が開発される以前には縄を使って距離を測定していましたが、同じ縄を使い込んでいるうちにだんだんと縄が伸びてしまい、実際より短い測定値になってしまうことが珍しくなかったようです。その結果、最近になって正確に測量してみると面積が増えているなんてこともあって、それを「ナワノビ」といいます。  話を復興に戻すと、私たちが住む日本は幾度となく災害に見舞われてきましたが、その度に目覚ましいスピードで復興を遂げている、その陰には測量の技術があったということで締めくくりたいと思います。
06日 1月 2020
 あけましておめでとうございます。昨年中は拙いブログにお付き合いいただき、ありがとうございました。今年は何か新しい発想でお読みいただく方のお役に立つことが書ければいいと思いながらキーボードを前に考えを巡らしております。...
27日 12月 2019
 今年も残すところ数日となりました。前回は年賀状のお話しでしたが、それも何とかなりました。それでも、耳をすませば、「まだまだ年内に済ましておきたい事がある」と心の中で囁く声が聞こえてきます。自宅寝室のベッド脇のサイドテーブルには読みかけの本が4冊も乱雑に積み重ねられていて、いかにも、今さっき手に取ったばかりのように鎮座していますが、実際は2か月くらい放置されていることを、うっすらと積もった埃が証明しています。これはほんの一例で、万事がやりっぱなしになっています。たいして忙しいわけでもないのに怠けることが癖になってしまいました。  今年は平成31年として年始を迎え、年末は令和1年になって終えようとしています。何十年に一度という珍しい年でした。しかも、天皇陛下の御存命の中での新天皇の即位であり、様々な宮中行事の様子も祝賀ムード一色に彩られました。昭和から平成となったときは昭和天皇崩御にあたり喪に服す気持ちがあったことに比べて当然のことかもしれませんが、それだけではなくて日本が天皇制と元号という日本特有の制度、文化に肯定的になったように感じます。しかし、そんな人々の営みとは無関係に、今年は日本各地で自然災害が発生しました。そして来る2020年は待望のオリンピック・イヤーです。スポーツを通して世界中の人々が集う平和の祭典も、その規模と影響力からテロリストの標的になることが懸念されるところです。選手ばかりでなく、その対策や様々な準備に運営する側の人々の苦労も並大抵ではないでしょう。  こうして身近な日常も日本という国も年年歳歳、年は暮、また明けてゆきます。そこには本来は連続した時の流れを敢えて不連続に堰き止めて、過去を見つめ直し、未来に想いを馳せる工夫が為されている、それが年越しを控えたこの時期特有の心境ではないでしょうか。この、しみじみとした空気の中、天災も人災もなく己のみに留まらず、世界中遍く幸多かれと願うことで日頃の身勝手を洗い清めて善人になるのも正月の効用だと言えなくもありません。  これから迎える新年が穏やかにスタートすること、そして、自然も荒ぶることなく、自分も含めた人も善人のままで一年を過ごせるように堰き止められた時間のダムにそっと願いを浮かべて今年の独り言を終えたいと思います。お読みいただいた皆さまにはお世話になり有難うございました。
18日 12月 2019
 今年も年賀状を作成する季節になりました。ここで、多少の違和感を覚えつつ、敢えて作成するとしたのには理由があります。本来ならば「年賀状を書く」とすべきところですが「作成」するとしたほうが実際の作業に相応しいと思ったからです。どこの家庭でもプリンターが「人間の手作業である書く」に替わってパソコンの操作により賑やかに活躍することでしょう。パソコンが普及してからというもの、年賀状は裏面にユニークなアイディアを盛り込んで、自分だけのオリジナルなデザインに仕上げることが簡単にできるようになりました。また、表面の宛名についてもデータベースによって住所録管理するようになって、手書きで一枚ずつ書いていた時代に比べ、格段に作業が楽になりました。  ところが、今年は5月に我が家でトラブルが発生して年賀状の住所録が使用不能になりました。それでも、12月のこの時期までには復旧するだろうと甘くみていました。ところが、予想に反して未だに使用不能のままなんです。そのこと自体に対する恨みつらみもありますが、それはさておき、何らかの対処をしないと年賀状が出せません。昔のように一枚ずつ手書きをするか。それが出来れば、ある意味、心がこもった年賀状になって素晴らしいのですが、残念ながら私はひどい悪筆で手間ばかりかかって恥をかくばかりです。次の手段はもう一度パソコンで住所録を作成すること。そのために150件以上のお名前、郵便番号、住所等をキーボードで入力しなければなりません。これから10日ほどで仕上げるのは大変ですが、これから毎晩夜なべ仕事となるのでしょうか。それでも間に合うかどうか!  これからどうするか、どうなったかは私からの年賀状が届いた方にはわかるでしょうが、ここでは頑張って何とかします、とだけにしておきます。とにかく、電子機器に頼りすぎて困ったことに陥って苦労しているという愚痴話でした。あぁ時間がない!時間がない!
11日 12月 2019
 このコーナーで何を書こうかと題材に困ったとき、改めて世の中を見回してみます。「世の中」と一言で済ませてしまいましたが、よくよく考えると人によって、状況によって、あるいは時代によって、その意味合いが大きく異なります。たとえば、私がブログの題材を求めてさまよい歩く「世の中」としては、自宅と職場、その間を繋ぐ通勤経路が頭に浮かびます。そこで誰と何を会話してどう感じたかが私にとっての世の中です。しかし、けっしてそれだけではありません。子供の頃から慣れ親しんだテレビも世の中を構成する大きな要素です。そういった情報源という意味では、最近PCやスマホによるネット検索などがテレビを凌駕する存在になってきました。実際、私がブログの題材を選ぶのに、家庭や職場での出来事だけでなく、テレビから仕入れた情報も結構あります。そして、同様にネットの世界からも多くの題材をみいだすか、と思いきや以外とそうでもないような気がします。ネットの活用法としては、既に題材を決めた後に、その話の真偽の裏付けや補足が多いような気がします。  思えば人類は文明の発展とともに個々人の持つ世の中を広げてきました。道路の整備や航路の発見も然り、また、エンジンを積んだ自動車や蒸気や電気で走る列車の実用化も然り、そして、航空機の出現で移動手段としては飛躍的な進歩を遂げました。こうして限られたエリアでしかなかった「世の中」がどんどん広がりました。しかし、テレビの存在は人間自身が移動せずとも情報が得られるという点で、交通の発達とは別の次元で「世の中」が広がったと思います。  さて、その次に現れたPCやスマホは、またテレビとは違う作用が働くようです。PC、スマホは「世の中」を広げるというよりも専門分野に深く入り込む傾向が強いのではないでしょうか?その理由は、これまでも指摘されてきたようにテレビの場合、情報が発信元から受け手に一方的に流れる、つまり情報の受け手に取捨選択の機会が少なく、発信元の選択した情報が普及する。(そのことを問題視する意見もありますが、それは置いておいて)その結果、意図せず受け手の「世の中」が広がることになります。それに比べてPC、スマホは双方向コミュニケーションであるがゆえに互いに取捨選択ができるので、興味のあることに集中する傾向が強くなるのかもしれません。  少々ひねくれたことを申し上げるようですが、本人の興味と無関係に外部から一方的に情報を押し付けられることも、世間を広げるという意味で有益ではないでしょうか?という結論で締めくくりたいと思いますが、この拙いブログを読むに値すると選択していただいたあなたに感謝申し上げます。
04日 12月 2019
 「もみじ狩り」という言葉があります。ちょうど今頃の季節に話題になります。赤く色づいた紅葉は大変美しいです。しかし、それを眺めに出掛けることを「もみじ狩り」と呼ぶのはなぜでしょうか?「狩り」は見てのとおり“けものへん“ですから、どうしても獲物は鳥獣を連想してしまいます。...

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