ブログカテゴリ:2016年5月


25日 5月 2016
 最近、ときどき目的地になかなか辿り着かず、いわゆる迷子になることがあります。最初から地図を準備して見ながら歩けばよいものを、つい面倒で出発前にザッと眺めて、その記憶を頼りに歩きだします。それでも概ね近くまでは行くのですが、最後に角を一か所曲がり損ねたり、早く曲がってしまったりで周辺をウロウロしてしまいます。...
16日 5月 2016
このシリーズの初回に「歴史は繰り返す」と記しました。一昨年秋に2020年東京オリンピックが決まってから都心部の不動産価格は高値で推移しています。それだけでなく、バブル崩壊から現在まで価格のグラフは山と谷を繰り返しています。その度に儲かる人と大損をする人がいて悲喜交々。それでも最初に押し寄せた大きなバブルほどの狂乱は起こりませんでした。それは過去を振り返り多くのことを学んだからだと思います。 ということで、バブル崩壊の被害に会わなかった人について話を進めます。一つ目のタイプはバブルに乗じて不動産を購入もしくは元から保有していたものの、崩壊する前に売り逃げた人たちです。これは、ごく一部の人です。バブルのとき、同じ不動産が何度も取引され、そのたびに値上がりしてゆきましたが、最後にドーンと値下がりしたときの所有者が損をします。しかし、こうなることを予測してドーンの前に全ての不動産を売却した人は稀で、多くの人はまだ値上がりすることを夢見て別の不動産を取得するか、すべてを売却せず残しておいたため、大なり小なり被害を受けたと思います。よくトランプゲームのババ抜きに例えられる話ですが、最後にババを引かなければ儲かりますが日本中の不動産が一律に値下がりし、どれを引いてもババといった状態でした。 もうひとつは、賃料等、不動産から得られる収益を計画的に見込んで取得する人です。通常、家賃相場は売買価格ほど大きくぶれません。それは、賃貸借契約は2~3年の契約期間中は賃料を変えず、契約更新や退去後の新規募集のとき、はじめて賃料が変わるということも理由のひとつです。このような考え方がバブル崩壊の教訓として認められるようになり、前述のように不動産の価格を決めるときの方法のひとつとして定着するようになりました。将来の収益の予想とそれに基づく不動産の現在価値を計算するため、 Discounted Cash Flow(DCF)なども導入されるようになって、特に投資用不動産やそれを小口化した金融商品(REIT)が開発されるようになりました。 前者のババ抜きは経済情勢を読み切る情報力により成功するかもしれませんが、どうしても偶発性を否定できません。その点において弊社の収益構造の基盤とは考えられません。それに対して後者の賃貸収入は不動産の価値を見極める選球眼とバリュアブルを実現するノウハウを武器に物件保有、管理を緻密な計画により実現できれば、確実性の高い事業として弊社の基盤になると信じています。 以上、バブルをテーマに私の勝手な解釈を披露してきましたが、その中で私が選んだ事業は賃貸収入という安定した基盤のうえに利益率の高い不動産売買をバランスよく組み合わせることです。日頃から申し上げている弊社の目的を実現する手段としてトライしたいと思っています。 (おわり)
09日 5月 2016
 放っておけば、どこまでも膨張し続けるかに思えたバブルも、政府・日銀の強引な政策が皮肉にも功を奏して、これまで経験したことのない異変が顕著になってきました。まず、取引の前に届出が必要となり、迅速な契約ができなくなりました。売主、買主互いに価格や条件で合意しても、それから届出をして、受け付けてもらうまで2か月くらい日数がかかります。これで購入して直ぐに売却すること(いわゆるコロガシ)ができなくなりました。また、購入すれば必ず値上がりすることを前提にお金と物件をセットで揃えて持って来ていた銀行も、すっかり貸し出しに消極的になってしまいました。そしてイラクのクェート侵攻とそれに対抗するUSAを中心とする多国籍軍の宣戦布告。いわゆる第一次湾岸戦争を境に完全にバブルは弾け飛んでしまいました。 その後、不動産市況は長らく低迷を続けることになりますが、その間、立場の違いによって被害の程度やその原因が大分異なっていました。たとえば、仲介業者の場合は不動産が値下がりして取引価格が小さくなった分だけ手数料が小さくなりますが、取引件数を増やせば何とかやっていけます。売主も買主も金融機関から借入さえなければ窮屈な思いはしますが何とかやっていけます。悲劇の主役は金融機関からどっさり借入をして不動産を取得したままバブル崩壊を迎えた人たちでした。  買って持ち続ければ必ず値上がりすると信じた人たちは、銀行が勧めるままにお金を借りて、どんな不動産でもとりあえず買ってしまい、借入金の返済に困れば高値で売って借金を返済して余ったお金が儲けになるはずでした。ところが、バブルが崩壊して不動産価格は急落し、売るに売れません。購入するとき自身で利用することや投資用として収支まで考えないで取得した場合がほとんどで、後には役に立たない不動産と巨額な借金だけが残りました。  この後始末に10年が費やされ、借金苦の中で沈んでゆく当事者は勿論のこと、不動産業や金融機関も痛みを分かち合い、それだけでは足りず、いくつかの企業が生贄として消えていった。といいうのが私の目に映ったトンネル内の概要です。  ところで、このお話において被害を受けなかった人たちがいると思いませんか?次回はそのことに絡めて弊社の不動産投資に対する考え方に言及して終わりたいと思います。 (つづく)
02日 5月 2016
前回はバブル期までの不動産価格が近隣の事例を参考に決まっていたことを申し上げました。今から考えると、ひとつの方法に偏っていると感じますが、当時はそれが当たり前でした。そして、この問題について語るとき、もう一つ大切なことは「土地は必ず値上がりする」と多くの人が信じていたことです。バブルが崩壊するまで、それは神話と呼ばれるくらい常識として定着していました。背景としては戦後日本の目覚ましい経済成長がありました。人口減少が重大な問題として取り沙汰される前のことでした。 大きなトレンドとして値上がりが半ば常識であるところにきて、近隣の取引事例だけが価格決定要因である市場において、金融緩和という触媒が加味されて出来上がった妙薬バブルにとっては、何をやっても怖いもの知らずの状態で日本社会を狂乱のお祭騒ぎへと駆り立ててゆきました。 その頃になると、これは流石に行き過ぎだろう、と感じることが多くなりました。不動産の仕事にかかわりのある人は超好景気を満喫する一方、その方面に縁の薄い人は常識外の価格高騰にマイホーム購入も絶望的になり、社会の健全性が損なわれる状態にまで達していたと思います。そこで登場した日銀総裁の三重野氏は、「バブル退治」の旗を掲げて政府と一体になって不動産取引に様々な制約を複合的に課してきました。その政策は一定の規模を超える不動産取引の届出(国土法)を義務付けるなどです。また、金融政策では不動産に関わる融資の総量を規制するなど、まるで燃え盛る達磨ストーブに冷や水を浴びせかけるようなやり方でした。 バブルが巻き起こした狂乱景気を肯定できない私ですが、当時の冷や水政策については、それ以上に否定的な見方をしています。それは、その後に経験する長く暗いトンネルを嫌悪する気持ちからではなく、当時からあまりにも反作用を考慮しない極端過ぎる政策だと思っていたからです。残念ながら、その後のトンネルが、そのことを実証することとなりました。 次回はトンネルの中のあがきについてお話したいと思います。 (つづく)