2018年

12月

28日

家族の歴史

今年も余すところ僅かになりました。このコーナーも今年最後ということで、この1年間を振り返ってみると、何だか、家族の引越ばかりしていたように感じます。

 

3月には長男が6年間の海外勤務を終えて家族を連れて帰国することが決まりました。そのための住居探しに奔走している最中に、やはり、海外に単身赴任していた義理の息子(長女の夫)の帰国が決まりました。今度は、この2年間、我が家に一時的に戻っていた長女が新居を探し始めした。こちらも急な話だったので、とりあえず狭くてもいいから仮住まいで間に合わせて、10月にようやく腰を落ち着ける部屋に引っ越しました。一方、一人暮らしを満喫していた次女は4月になって、結婚の準備を理由に我が家に戻ってきました。タイミングとしては出て行った長女と入れ替わりです。そして、11月には次女が新居に引っ越していきました。

 

 お正月を迎えるにあたって、お年玉用を現金で準備するというのがありました。かつては10万円以上、必要だった年もありました。ところが、今年は、親戚縁者でお年玉を手渡す顔が思い当たりません。家族構成にも年代的なサイクルのようなものがあって、我が家の場合、かつてお年玉の対象者だった子供や甥姪が大人に成長し、だからといって未だに小さな子供を抱えるには早いといった、いわば、ちょうど狭間の時期なのでしょう。思えば、今から35年ほど前に、立場は入れ替わっても似たような状況がありました。これから、年を重ねてゆくにつれ、きっとお年玉の準備が必要になってくるのだろうと思います。家族にも歴史があり、それも、また、繰り返されて未来へと進んでゆくのでしょう。

 

新年を迎えるにあたり、この1年のご愛顧に御礼申し上げるとともに、皆さまにとって来る未来が明るいものであるよう願って、本年の締め括りとさせていただきます。

 

ありがとうございました。

 

 

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2018年

12月

18日

思い出のハワイに現実を重ねて-3

 前々回前回に続いてハワイ旅行の話を綴ってまいりますが、お読みいただいている皆さんも、いい加減、退屈されるかな?と不安を抱きながらも他にテーマが見つからないこともあって、あと1回だけお付き合い願います。

 

前回でカメハメハ大王について、ほんの少し触れました。この人の立像がホノルルのダウンタウンとハワイ島コナにあったはずでした。ホノルルの像については今回、確かめる機会がありませんでしたが、もう一方の像があったコナのキングカメハメハホテル正面エントランスに勇壮な大王の姿はありませんでした。私は特にカメハメハ大王のファンというわけではなく、どうしても、その像を目にしなくても構わないのですが、ここでも20年という歳月を感じてしまいました。

 

 これまで、新たに感動した話題に加えて、変わってしまったものへの戸惑いを織り交ぜてきましたが、当時も今も英語でのコミュニケーションに不自由を感じることに変わりあるません。こんなことを言うと自分の無能ぶりを居直って自慢するようでみっともないのですが、やはり、英語は不得手です。

 

ホノルルでは主にタクシーが移動手段でしたが、ハワイ島では、そうはいきません。どうしてもレンタカーのお世話になります。とは言ってもハンドルを握るのは妻のほうで、私は気楽に助手席に座っていました。妻には感謝の気持ちでいっぱいです。レストランで素敵なディナーを食べるときも、私はワイン、妻はソフトドリンクといった具合です。それでも妻は文句を言わず、国際免許を用意してレンタカーを運転してくれました。

 

 

ハワイ島コナ空港に降り立って、まずは空港近くのレンタカー基地で不得手な英語で何とか手続きを終えて、さあ出発。それから5分も走っていないところで後方にパトカーが現れ、何が起こったか理解できず、とにかく路肩に停車しました。どうやらスピード違反のようです。そのときのお巡りさんの言葉で”two times”が耳に残ります。この短時間に我々は2回もスピードオーバーしたなんて信じられない。抗議しようと身構えて、よくよく考えると2回ではなく、制限速度の2倍で走ったとのこと。そんなにスピードを出した覚えはないのに…と思いながらも説明を聞くと、その道路の制限速度は時速15マイル(約24キロメートル)という超低速だったのです。そんなアクシデントもありましたが、その後、事故も大きなトラブルもなく楽しく島を巡ってこられたことに感謝しつつ、ハワイ旅行については筆を置きたいと思います。

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2018年

12月

12日

思い出のハワイに現実を重ねて-2

 さて、前回に続いてハワイ旅行のお話しです。ホノルルからハワイ島コナ行の飛行機に搭乗し、約40分で目的地に着陸です。上昇したと思ったら、すぐに下降に転じ、その間、水平飛行はほとんどありません。これを称して「レインボーフライト」というなどと20年前に耳にした記憶がありますが、今回の旅行では誰も、そんな表現はしませんでした。この例に限らず、20年前の知識があまり役に立たないことが、一度や二度ではなく、たびたびありました。

 

ハワイ島には標高4200メートルのマウナケアがそびえ立っています。この名前の由来について「大きな山」という意味だと記憶していましたが、後にこの山の登頂ツァーに参加したときのガイドの説明によると万年雪に覆われた「白い山」という意味だそうです。これも私の記憶違いなのか、かつて解説してくれた人がいい加減だったのか。この白い山は20年前にも観光ツァーではなく、頂上付近にある日本の天文台「スバル」の建設に携わった駐在員の友人に案内されて、家族で登った経験があります。登山と言っても、ふもとから頂上まで全て車での移動であり、自分の足で登るわけではありません。ただし、標高が高いので空気が薄く、高山病にならぬよう身体を慣らしながら、途中で休憩を入れて登っていきます。20年前に4輪駆動のレンタカーを運転して頂上を目指したときの光景がよみがえります。

 

今回はガイドの運転でサンセットと星空を眺めるツァーに参加しました。気温が氷点下になるので、常夏のハワイに似合わない防寒着です。ハワイ島はハワイ全島を統一したカメハメハ大王生誕の地であり、マウナケアの頂上はハワイアンの人々の聖地とされています。そんな神話のような話に触れ、山頂から眺める夕日は神々しい光を放ちながら、ゆっくりと雲の中に沈んでゆき、その後には薄紫を背景に美しい朱色の夕焼けが西の空を染めてゆきます。それから時間の経過とともに全体が夜空の佇まいに移ろう様はまさに圧巻でした。

 

これだけでも十分に満喫していたところ、夜空の天文ショーが第二幕として控えていました。先程、天文台「スバル」について触れましたが、この近辺には世界各国の天文台が全部で13棟も建設されています。それは、空気が澄んでいて、周囲に余計な光が少ない、天体観測に適した場所だという証です。空が暗さを増してゆくにつれ、火星などの明るい星が浮かび上がり、気が付くと満点に無数の星が輝いているではありませんか。ガイドが星座の話など、天体について解説してくれるのを聞き、誰かが、思わず「プラネタリウムみたい!」と呟くと、「こっちが本物でプラネタリウムが真似てるんですよ」と優しい声が返ってきました。寒さにかじかんだ手をポケットに突っ込んで、ときどき深呼吸しながら見上げる星空も夕日に負けず感動的でした。

つづく

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2018年

12月

04日

思い出のハワイに現実を重ねて

 先週は休暇を取って家族と旅行に行ってまいりました。家族といっても妻と二人きりになりました。ついに、先月、末っ子(次女)が最良の伴侶を見つけて我が家を出てゆきました。それに伴い、ハワイでウエディング写真を撮影するのに親である私たち夫婦も便乗することに相成りました。便乗とはいっても、新婚の娘たちに、ぴったり同行するのも如何なものか、というわけで往復の便も現地でのスケジュールも宿泊先も別々で、一緒の時間は必要最低限とし、できるだけ別行動としました。

 

今回から数回にわたって、この旅行で体験したこと、感じたことを書き連ねて参りたいと思います。先ずは、かつて6年間を過ごしたハワイに久々に降り立って、その変貌ぶりに戸惑いを覚えました。それは、街自体が変わったということだけでなく、私自身の記憶や能力の衰えもあって、改めて20年の歳月を感じざるを得ません。

 

翌日から連休を控えた夜、羽田空港を定時に飛び立った飛行機は到着予定時刻より少し前に懐かしのホノルル国際空港に到着しました。そこは常夏の島、東京との寒暖差を考慮して到着後、上着を脱ぎ棄てれば直ぐに現地のスタイルに変身できるように準備をしてきました。USAの入国審査を無事に済ませてタクシーでホテルに向かう途中、運転手との世間話に、この数年の気候変動により、ここハワイにもハリケーンが襲来するようになったことを聞かされました。幸いにも私たちの滞在中はお天気に恵まれて旅を満喫できましたが、せっかくのハワイ旅行が台無しになる事態に遭遇することもあったようです。

 

 話は前後しますが入国審査のとき、両手の10本の指の指紋を記録するよう指示されました。旅慣れた方にとっては、さほど驚くことではないかもしれませんが、近年のアメリカ政府の外国人に対する対応が、かつてと異なることの現れだろうと感じました。この後、ホノルルに1泊し、翌日、ハワイ島コナに向けて現地航空会社の便に搭乗しましたが、そのとき、改めてセキュリティチェックを受けました。これが、また20年前に比べて格段に厳しくなり、X線検査に留まらず、靴を脱がされ、ベルトを外し、ごつい体格の係官にボディチェックされ、ズボンのポケットに入っていたハンカチを指摘されました。

 

これも9.11という痛ましい事件の影響でしょうが、せっかくのバカンスにはあまり似つかわしくない体験ですね。今回、その他に貨物に預けるスーツケースが搭乗手続きのカウンターではなく、近くに備え付けてある機械で人間の料金とは別に1個$25を支払う手続きが必要なことに戸惑ってしまいました。次回以降、懐かしく楽しい旅の話に失敗談をちらほら織り交ぜて進めて参ります。

 

つづく

 

 

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2018年

11月

20日

住民票と戸籍の住所

ここ数年、我が家では子供たちの結婚や、それに伴う引越が続き、その度に住民登録や戸籍の変更などの手続が必要でした。この手続き、勿論、子供たち本人が行うことですが、初めてのことなので、親である私に、いろいろと訊いてきます。たとえば、婚姻届を提出するにあたって、戸籍謄本が必要だが、我が家はこれまで何度か引っ越していて、現在の本籍地はどこなのかわからない?などです。私は、結婚して独立しても両親の住む実家を本籍地としていましたが、最近になって戸籍の住所も住民登録している住所と同じ場所に移動しました。そのときも、住民票の住所(いわゆる現住所)と戸籍に記されている住所(本籍地)が同じ場所なのに末尾の表記が異なっていることについて気になりましたが、今回、このことについて改めて調べてみることにしました。

 

結論から言うと、住民票の住所はそこに建っている建物の表記を使いますが、戸籍はその場所の土地の表記を使います。そして、土地とその上に建っている建物とは、それぞれ別の不動産ですから必ずしも表記が一致するとは限りません。というより、異なっているほうが一般的です。こうして、住民票と戸籍の住所が、たとえ同じ場所だとしても表記が異なることになるわけです。住民票は実際に住居として使用している建物で特定するほうが妥当ですが、戸籍は長い年月にわたっての記録になるので、特定した建物のほうが先に消失してしまう恐れがあります。それゆえ、その場所の土地をもって表記するほうが妥当でしょう。土地も、文筆や合筆、区画整理など、何等かの原因で表記が変更になることはあっても、土地の謄本と照らし合わせれば何年経っても特定できます。

 

そもそも、本籍地と現住所が同じである必要はありません。何故かという疑問に答えるために、まず、住民票と戸籍の役割の違いを考えてみましょう。住民票は現存している個人を特定するためのものです。現在、どこに住んでいて、どこに地方税を納めて、どこの行政サービスを受けるかが重要であるのに対して、戸籍は両親をはじめとする家族のつながりを記録したものですから登録した住所に実際に住んでいなくても支障はありません。私は4年前に両親を亡くしたとき、相続手続きのために両親の戸籍を調べたことがあります。そのときも、実際に住んだことのない山形から戸籍謄本を取り寄せる必要がありました。私の知る限り、両親もそのようなところに住んだことはなく、それは父方の祖父の実家があった場所にほかなりませんでした。父は人生の最初の段階で住んだことのない山形に本籍があったのです。私が、暫くの間、実家を本籍地にしていたのと同じです。

 

 

いろいろな手続きに必要とする住民票と戸籍謄本。どっちも似ていて混乱することが多かったのですが、こうして整理して考えると「なるほど」気分になります。

 

 

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2018年

11月

06日

Fake

 ”fake”という言葉、以前はあまり耳にしませんでしたが、最近になってよく使われるようです。どこかの国の大統領の口からも頻繁に”fake news”という言葉が飛び出します。今、私の手元に、高校1年から使っている英和辞書があります。この古い辞書で”fake”を引くと、「模造品」「まやかし物」「いんちき」「虚報」…etc.とあります。40年以上使っている辞書にも当然、載っている言葉ですが、お馴染みになったのはここ数年のことです。

 

 最初に出会ったのは「バッグなどの高価な有名ブランド製品のfakeにご注意!」といったものでした。それまでであれば「模造品」と表記したところを英語が使われていました。何故、英語になったかは知りませんが、背景には海外からの模造品が大量に流入しているという事実があったのでしょう。その後も、度々、この言葉にお目にかかるようになりました。たとえば、美術品のfakeとか、冒頭で話題にした大統領の口癖もその一つです。

 

 大統領が”fake news”と決めつける対象の報道の真偽については関知しませんが、近年、明らかに”fake”と思われる報道がネットを通じて拡散するといった現象が社会問題になっているようです。新聞社やテレビ局といった報道機関とは異なり、ネットによる情報の発信元は匿名性が高いので、無責任に情報を垂れ流すこともあり得ます。また、意図的に”fake news”を悪用して世論を動かすとなると深刻な問題です。

 

 この問題に警鐘を鳴らす事例として、数年前にイギリスがEU離脱の是非をかけて行われた国民投票において、”fake news”が飛び交い、投票に影響を及ぼしたとありました。しかし、今、私がこのように記載している記事も、やはりネットで引っ張り出した情報であり、真偽を疑われても不思議ではないと思いませんか?

 

 

 一時期、既存の報道機関の記事が恣意的に歪められていることが指摘され、ネットを通じた現場の生の情報こそ真実だという風潮がありましたが、今度はネットの弱点をさらけ出したようです。結局のところ、情報を受取る側の見識と判断力が重要ということでしょうか。

 

 

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2018年

10月

30日

衣替え

 昨日、事務所近くを通っている環状八号線の歩道を歩いていると、草叢から秋の虫の音が聞こえてきました。もう、10月も下旬になります。私が気付かなかっただけで、もっと早くから鳴いていたのかもしれません。それにしても、今年はいつまでも夏の名残で暑さが続いたように思います。虫の音には気付かなくても、気温の変化は生活に影響を及ぼします。週間天気予報を見ながら衣替えをいつにするか思案する季節です。特に、朝夕と日中で気温に差がある日などはどうしたものかと悩む人も多いのではないでしょうか。

 

 我が家はマンション生活なので、それまで住んでいた戸建の家に比べて収納スペースに限りがあって夏の間、使用しない冬の衣類は屋内で保管せずに専門業者に預け、この時期になると、それらが戻ってきます。これも季節の移り変わりを感じさせてくれる年間行事です。かつては、半年ぶりに冬物の衣類に袖を通して、まずは体型の変化が気になりましたが、その点において、この十数年は特に問題はありません。むしろデザインが古臭く感じられたり、逆に、今の自分には若すぎたりします。そんなときは、どうしても袖を通す気になりません。こうして、いくつかの衣類は、また半年間、自宅の引き出しに仕舞い込んだまま、ただ保管しておくだけになってしまい、それでも、また、いつか着ることがあるかもしれないと捨てられずにいます。それはサイズやデザインといった実用的な側面ばかりではなく、購入した時や、初めて着たときの思いが影響しているのかもしれません。

 

 人はそれぞれの過去、現在、未来を歩んで生きています。そして、生きてきた過去を衣類と同じく「想い出」というパッケージに包み込んで心の中に仕舞い込んでいます。使わなくなった「想い出」も捨てるに捨てられず、心の奥底に仕舞い込まれていくと、いつかいっぱいになってしまうので、忘れてしまうことも、必要な作業なのかもしれません。それは、あたかも使わなくなった衣類のように…

 

 衣替えは季節の変わり目の年中行事と申し上げました。季節が変わらなければ衣替えも必要ありません。それでは、人生において季節の変わり目とは何を指すのでしょう。それは(自分だけでなく家族も含め)受験、就職、転職、結婚、近親者の死など、多くの出会いと別離ということでしょうか。私たちも、これから先、いろいろな季節を体験することでしょう。

 

 

今月は同窓会の梯子をして少し感傷的になったせいでしょうか、刹那に暮れゆく夕暮れから、季節の移ろいに思いを馳せる秋でした。

 

 

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2018年

10月

23日

社章

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2018年

10月

17日

歴史ドラマの妙

現在、放映中のNHK大河ドラマ「せごどん」を毎週、楽しみにしています。ドラマの主役は言わずと知れた西郷隆盛。この歴史上の人物の生涯を描いています。大河ドラマは歴史を壮大な大河の流れに見立てて制作しているのですから、主役、脇役を問わず、自ずと登場人物は歴史上、名を残した有名人が多くなります。

 

私は小学校4年生くらいで、それまで夢中になっていたウルトラマンシリーズを卒業して大河ドラマを見始めました。どちらかと言えば早熟なほうかもしれません。こうして約半世紀に渡り大河ドラマを観ていると、どうしても同じ時代背景が何度も選ばれることになり、それぞれの作品の中で同じ人物が別の作家によって描かれ、そのそれぞれを別の俳優が演じることになります。中には、前作に出演した同じ俳優が、今度は敵対する役を演じたりすることもあって、そんなときは興醒めします。特にこの現象が多くみられるのは戦国時代末期と幕末から明治維新にかけてでしょう。

 

そして、私の頭の中は子供の頃、最初に登場した映像が歴史上の事実として定着し、二度目以降が如何にも事実とは異なる作り話の印象が湧き出てしまいます。ところが、いちいち数えていませんが、この歳になると10人目かそれ以上の西郷隆盛に出会うことになり、今度の西郷はなかなかいいな、とかいまひとつイメージが違うな、とか一人前に批評する余裕が出てきます。

 

 

考えてみれば、最初に目にした西郷が事実に即したもので、あとは作り話なんてことがあるわけもなく、その作家によって、遺された資料をどこまで読み解くか、あるいは、その解釈に独創性を持たせるかの違いはあっても、すべて、どれもが、その場にいて目にしたことの記録ではありません。どれも等しく、作家と俳優、その他大勢のスタッフによる創作です。その創作であるドラマが事実よりも観る人に感動を与えるであろうというのが、創る側の意気込みであり、観る側の欲求でもあるはずです。だからと言って、あまりにも史実からかけ離れてしまうと興味が削がれてしまいます。作家の皆さん、「史実は小説より奇なり」という言葉もあります。どうぞ、史実に基づいた本格歴史ドラマを見せてもらうこと熱望しています。

 

 

 

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2018年

10月

09日

思い出の世界

今年の夏はこれまでにない猛暑だったせいか、あるいは、ただの偶然か、以前から大切に思っていた人が二人お亡くなりになりました。お一人はご高齢、もうお一人は長年の闘病生活の末でした。暑さも一段落した9月の下旬になって高校時代の同級生の訃報が立て続けに2件飛び込んできました。今度は年齢が自分と同じということに少なからず衝撃を覚えました。4人の方々それぞれに想いがあるものの、個々の事情については差し控え、このようなときの“哀悼の意“はどこから生じて、どこに向けられるのかについて考えてみたいと思います。

 

子供の頃、初めて身近な人の死に出会ったのは、もうすぐ3歳の誕生日を迎えようとするときに、同居していた祖父が亡くなったときのことでした。このとき、血のつながった父よりも義理の関係の母のほうが悲しみを露に泣き崩れていたことが印象に残っています。その場面を目にして、死に対する悲しみを学習したような気がします。その後、成人してから、祖母や両親など近親者を失いましたが、幸いにして皆、安らかに永眠につきました。そうなると、情の面での喪失感は勿論ありますが、実生活では、さほど影響がなかったうえに、世間的儀礼の面で忙しいこともあって、無事に見送ることができたという安堵感が寂しさに入り混じっていました。

 

悲しみは、かつて故人と一緒に過ごした思い出から生じ、これから自分自身も似たような道を辿るであろうという感慨に向かっています。お世話になった人や親しかった人の死に直面したとき、やはり、情の世界で故人を忍ぶことになりますが、家族の場合と少々、事情が異なるのは遺族の心情を慮ることでしょうか。故人との思い出から生じた感情は遺族に対する悼みへと向かいます。

 

人の死に直面して呼びかける言葉は果たして故人に届くのでしょうか。それは、わかりませんが、こうして考えてみると、既に故人となって、現実の世界には存在していないとしても、遺された人々の思い出の世界には確かに存在しているのでしょう。

改めてご冥福をお祈り申し上げます。

 

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2018年

10月

03日

日本人のアイデンティティー

京都大学の本庶特別教授のノーベル医学生理学賞が決定したニュースが流れて、特に縁もゆかりもない私ですが、同じ日本人というだけで何かしら明るい気持ちになりました。受賞の対象となった研究については門外漢なので世の中の役に立つ立派なものであろうということだけで特に言及しません。本庶先生には心よりお祝い申し上げます。

 

ところで、近年、テニス、ゴルフ、フィギアスケート、水泳、野球、卓球などのスポーツの世界でも日本人の活躍が話題になりますが、そういうときも今回と同じく、そこはかとない嬉しさを感じます。これは偏に日本人としてのアイデンティティーに起因するものと考えます。それでは自分が日本人であるという意識を強く抱くのは、一体どんなときだろうと思い返してみると…

 

私は20数年前に6年間の海外赴任生活を経験しています。そのときの心境とその前後の気持ちを比較すると、やはり海外にいるときは、日本国内で生活しているときには感じない日本人としての意識を強く抱く場面に出くわしたことを思い出します。例えば、現地でスムーズに生活するために、現地の行政府が発行する身分証明書を取得しました。その際の申請書には10本の指の指紋を押さねばなりませんでした。両手がインクでベタベタに汚れたことを生々しく覚えています。また、何かトラブルに巻き込まれたとき(幸いにして私たち家族は大丈夫でした)、頼りになるのは警察ではなく、日本国大使館(あるいは領事館)、さもなければ、高額な費用で雇った弁護士でした。

 

 海上自衛隊勤務の親戚が自衛艦で私の赴任地に寄港したときのことです。めったにない機会なので、その人が乗っている艦が停泊している岸壁まで連れていってくれました。そのとき、目に飛び込んできた日の丸の旗に、思わず眼がしらが熱くなったことを記憶しています。私個人の主義主張を考慮して、普段の国内での生活では在り得ないことです。

 

日本国内にいると、当たり前のように受けている行政サービスも、実は少しも当たり前ではなく、近代国家という制度によって日本人は守られているからこそ、当たり前の生活が送れることに気付かされるエピソードでした。

 

 

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2018年

9月

18日

エントロピー増大の法則

「エントロピー」という言葉を耳にしたことはありますか?これは元々、物理学で使う言葉で、「物質の状態の乱雑さの程度」を数値で表したものです。物理の一分野である熱力学の世界で考案された概念です。最初からご存知の方は別として、初めて耳にする方にとって、このような説明を聞いても理解する人はあまりいらっしゃらないと思います。そこで、身近な例を示しながら「エントロピー」について独り言を語ります。

 

 先程、エントロピーは数値であると言いました。そうであれば当然、その数値を求めるための数式が存在しますが、ここではその数式には触れず、その概念についてお話を進めてまいります。今回の表題を単に「エントロピー」とせずに「増大の法則」を付け加えたのには理由があります。それは、世の中の状態は、放置しておくとエントロピーの値が小さい状態から大きい状態に変化してゆくという性質を明確にしたいからです。まず、エントロピーが大きい状態とはどういうことでしょうか。ここで、具体的な例を挙げてみなしょう。

 

今年は本当に暑い夏でしたが、ここにきて、その暑さも和らいで、これから冬に向けて熱燗が美味しい季節になります。いやいや、いくら寒くても常温でないとお酒の本当の美味しさはわからない、と主張する方も中にはいらっしゃるでしょう。しかし、ここでは、どちらが美味しいかを比べるのではなく、どちらのエントロピーが大きいかを論じています。答えは、常温のほうが熱燗よりエントロピーが大きいのです。熱はエネルギーのひとつの表れです。熱燗が周囲の気温よりも温度が高いのは、そこにエネルギーが集中しているからです。エネルギーが一様に慣らされておらず一か所に集中している状態こそ、エントロピーが小さい状態なのです。そして、放置しておくと熱燗は冷めて常温になります。これこそが、エネルギーが拡散して周囲と一様に慣らされエントロピーが増大したということになります。その結果、常温に冷めたお酒はエントロピーが大きい状態といえます。

 

 

物理学的視点からエネルギーを例に説明しましたが、こういった話は社会の至る所に見られます。例えば、「朱に染まれば赤くなる」という言葉があります。これもエントロピーが増大したと見ることができます。注意してみていると、世の中にはこういったことが多く見つかるのに気が付きます。物理が社会の意外なところで繋がっているというお話でした。

 

 

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2018年

9月

11日

不動産業者の一年

気温が下がり、灼熱の夏もようやく終わろうかといったところでしょうか。こういった季節の移り変わりのとき、これまでは花鳥風月など、自然の営みをテーマにすることが多かったように思います。今回は趣向を変えて不動産会社ならではの季節感を月毎に表現してみたいと思います。

 

1月 … 一般的に土日は出勤して平日に休むことが多い不動産業者(弊社は違います)も年末年始はまとまって休暇をとることが多いので、家でのんびりするなり、家族旅行に出かけるなり、人それぞれですが久々に家族と過ごすチャンスです。正月明けに出勤すると、単身者を中心に小さめの賃貸物件をお探しのお客様の動きが活発で、忙しい日常が待ち受けています。

 

2月 … 前月に引き続き、賃貸物件の需要が好調で何かと慌ただしい日が続きます。世間(他業種)では二八(ニッパチ)などといって需要が落ち込む時期なのに、この業界は例外のようです。

 

3月 … 世間は人事異動の季節です。それに伴う転勤で売買、賃貸ともに動きが活発になり、年間を通してピークを迎えます。また、会社によっては決算期を控えて売上、利益、キャッシュなどの数字が気になるところです。

 

4月 … 営業活動は3月で一段落。でも経理関係は集計やら決算書作成で結構忙しい会社が多いようです。

 

5月 … 世間はGWで浮かれているのに、お仕事の不動産会社も多いと思います。「働き方改革」で変わるでしょうか?

 

6月 … 雨の日はお気に入りの傘でお出かけすると気持ちがノリます。(個人的な意見)

 

7月 … 梅雨が明ければ夏本番。暑さが熱さになる前に、もうひと頑張り。

 

8月 … 二八という言葉のとおりですが、それでも頑張る。夏休みは世間並かな?

 

9月 … 涼しくなったし月末は中間決算を迎えます。元気出して、夏の疲れを吹き飛ばしましょう。

 

10月 … 十五夜の満月を眺めて、全て丸く納めます。(意味不明になってきました)

 

11月 … 秋は春と並んで繁忙期です。より良い住宅を探してお客様が動きます。

 

12月 … 年内に引越をご希望するお客様は多いけれど、あまりに、お急ぎの方はちょっと困りものかな!

 

 

以上は、私的経験による見解であって、すべての不動産業者に当てはまるものではないことをお断りして終わりにしたします。

 

 

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2018年

9月

03日

チコちゃん

 ありふれた日常生活の中にも小さな疑問があります。例えば「くしゃみをすると何故、人から噂されていると言われるのか?」「お風呂で手足がふやけるのは何故か?」などなど、理由を知らないまま常識となっていることが何と多いことでしょう?こんな話をするとピンとくる方がいらっしゃると思います。そうです、NHKの番組「チコちゃんに𠮟られる」です。ご存知ない方は一度、試しに視聴してみてください。ここに示したような素朴な質問が想定年齢5歳の少女として設定された架空のキャラクター「チコちゃん」の口から飛び出すと、これに答えられず、たじろぐ大人のタレントに対してチコちゃんが吠える「ボーっと生きてんじゃねぇよ」の決め台詞がなんとも痛快なんです。

 

 ここで取り上げられるテーマは、生活してゆくうえで大して重要と思えないことが多いのですが、何故か「へ~」とか「なるほど」と心の中で呟いてしまいます。そこが、この番組のもう一つの魅力だと思います。そして、たまにはゲスト回答者の口から正解が滑り出ることがあります。そんなとき、チコちゃんは、いつもの決め台詞の代わりに「つまんねぇ奴だな」とのたまい不機嫌になります。このことからもわかるように、チコちゃんはこじつけでも嘘でもいいから面白い回答を望んでいるのです。ここでの質問は間違った答えであっても生活に差し障りはありません。むしろ、正解でなくても誰も思いつかないユニークな発想で、チコちゃんの「ボーっと生きてんじゃねぇよ」を引き出すことこそ番組の中心に構成されているようです。

 

 

 不動産に関わる仕事をしていて、金銭の授受、法令上の問題、道義上の問題、一般的社会常識など、疎かにできないことが多々あります。そういたことについて、数字は勿論のこと、言葉の使い方まで正確無比である必要があります。しかし、新規分野に進出したり、営業網を拡大するため、新しい地域で仕事を始めようとするときは、最初から、これしかないという立派な答えが得られないかもしれません。そんなときはチコちゃんに叱られることを恐れず、何でも口に出してみないといけないな、と思うのでありました。

 

 

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2018年

8月

21日

親の目、子の目、世間の目

最近、プライベートで子供たちの家探しを手伝っています。4月に長男夫婦が何年かぶりに海外赴任を解かれて二人で帰国してきたので、現地にいる本人たちに代わり、賃貸物件を探してあちこち奔走しました。続いて5月に海外に単身赴任していた長女の夫が帰国したので夫婦そろって暮らすための部屋をひとまず用意し、落ち着いたところで、本人たちが探してくる購入物件に助言しています。それに加えて次女が婚約し、11月から新婚生活を送る賃貸物件を探すにあたって、お節介を焼いています。

 

3人の子供がいて、それぞれが家庭を持って独立するにしても、現在の勤務地(3組とも共稼ぎ)、今後の転勤の見込み、勤務体制や帰宅時間など、それぞれ特有の生活様式があって、それらを反映させると、家探しの条件も異なってきます。まず、第一に今後、海外勤務(転勤)の可能性が大きい場合は購入よりも賃貸となります。一方、購入するとなれば、資産性を考慮して、そのエリアの現状だけでなく将来の開発計画や発展性なども気になるところです。また、勤務地への利便性を考慮すると最寄りの駅、利用する鉄道も違ってきますが、個別の条件とは別に一般的に利便性が高く、人気のエリアほど家賃も購入価格も高額になってきます。それらの組み合わせでベストなソリューションを求めるには長年、生活してきた親の経験が生きてきます。

 

一方、実生活で必要な設備などは子供たちの意見が目新しく感じられます。例えば、トイレと風呂と洗面台の位置関係などは、それぞれの生活様式で異なり、一様ではなくなってきているようです。そのほか、ゴミ置場が建物内部に設置してあって何曜日でも24時間、ゴミが出せることなどは若い共稼ぎ夫婦には重要な条件となり得ます。窓やバルコニーの向きも、これまでは南向きがベストというのが常識でしたが、部屋の気密性が向上した結果、またタワーマンションのように周囲に遮る建物がない場合は特に南に拘らなくなってきています。子供がいない世帯にとっては小さな部屋がいくつもあるより、主たる生活スペースであるリビングが広い部屋を好む傾向があります。

 

 

ベストソリューションを得るためには親の視点、子供の視点、世間の視点、それぞれに一理あり、ということで今回は締めくくらせていただきます。

 

 

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2018年

8月

06日

60にして戸惑う

 先週末の暑い午後でした。あまりの暑さに外出する元気もなく自宅でテレビを見ていると、インターフォンが鳴ったので、また、宅急便の配達かと思い急いで返事をしてモニターを覗き込むと、いつもと異なる反応です。訪ねてきたのは制服姿の近所の交番のお巡りさんでした。何事かと慌ててオートロックを解除して玄関先まで招き、用件に耳を傾けてみると、「何と60歳以上の家庭にオレオレ詐欺に対する注意を喚起するための訪問」だそうです。

 

 このブログでも紹介したとおり、私は先月に還暦、つまり60歳になったばかりです。60歳を境に何か生活に変化が生じたわけでもなく、これまでどおりに生活していたのに、いきなり、「オレオレ詐欺」のターゲットにされる年齢ですと言われ、思わず吹き出しそうになりました。いかにも真面目そうな若いお巡りさんは、私の態度から何かを感じ取ったのか、緊張の度合いを深めながら丁寧な口調で挨拶して帰ってゆきました。

 

 このエピソードからもわかるように、自分自身では意識せずとも、いつのまにか社会の中で弱い立場とみなされるようになるのでしょうか?私は毎日、電車で通勤していますが、未だに見ず知らずの人から席を譲られたことはありません。きっと、そういう事態になったらショックを受けるでしょう。こんなことを愚痴っていても仕方ありませんね。60歳以上になったら、それなりのメリットがあるはずです。それを上手に活用したほうが前向きです。

ということで、ネットで調べてみると、60歳以上の割引は映画館やテーマパークなどの娯楽施設やパッケージ旅行プランなど、不要不急のことに対するものに多くみられます。つまり生活に必要なコストよりも時間とお金に余裕のある人の余暇においてメリットがあるようです。

 

これまでの人生、社会においても家庭においても常に周囲の弱者をいたわる立場で走ってきた人が60歳を境に逆の立場に転換しようとしても戸惑うのも当然、むしろメリットを楽しむ余裕が必要なのかもしれません。と多少、自虐の意を込めて締め括りたいと思います。

 

 

私より多少お若いと思っている、そこのあなた、次はあなたの番ですよ。

 

 

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2018年

7月

24日

方程式と恒等式

 前回、悪夢の原因の一つとしてシュレディンガー方程式を挙げました。今回、この話をするつもりはありません。なぜならば、これは私の人生における宿題のようなもので皆さんにお付き合いいただくものではありません。ただ、この等式が恒等式ではなく方程式であるということに着目して独り言を述べてみます。

 

 方程式と恒等式は等式という点では同じですが、異なる意味を持っています。よく似ているので中学や、高校の数学でこの二つを混同して迷路に入り込むことがありました。どこが、どう異なるかというと「方程式はある特定の値において成り立つ等式であるのに対して、恒等式はどんな値でも成り立つ等式です」そして、方程式を成立させる特定の値を解と呼びます。方程式にも一次方程式、二次方程式、…次方程式、連立方程式、微分方程式、偏微分方程式などなど、いろいろありますが、いずれも解を導き出すことが、その命題です。因みにシュレディンガー方程式は偏微分方程式だったはずです。

 

一方、恒等式はと言うと、どんな値でも成立するわけですから解は存在せず、むしろどんな場合でも成立することを証明することが命題になります。身近な例としては因数分解の公式などです。因みに公式と呼ばれるものは皆、恒等式です。前述の迷路の典型的な事例として以下に示します。解を求めるために立てたつもりの方程式が、与えられた条件を一つ忘れて使わなかったために恒等式が出来上がってしまい、解が見つからないという事態が考えられます。

 

ここで数学の世界から離れて、しばし実生活で考えてみましょう。東京の地下鉄はいろいろな路線が入り組んでいて極めて便利ですが大変複雑です。A駅からB駅まで行くという命題に対する解はいくつも出てきます。それどころか遠回りしてもいいから、とにかく到着すればいいとなると、極論を言えば、わざわざ大阪経由で行ってもいいわけで無限に答えが見つかります。これって、何か恒等式に似ていませんか?そして、最速で到着するという条件を付け加えると、恒等式が方程式に代わって、一つの解に絞られてきます。皆さん、スマフォの検索機能はお使いになるかと思いますが、コンピューターの頭脳は、きっと数学的に方程式を解いて解を導き出しているのかもしれません。

 

 

このようなことは、人間であれば、わざわざ数学を引っ張り出さなくても常識の範囲で誰でも処理しています。同様にシュレディンガー方程式がわからなくても、生活に不自由はありません。ただ、ひたすら「悪夢から解放される」という解を求めて…

 

 

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2018年

7月

17日

悪夢から解放される日

今回は恥を忍んで学生時代のことを吐露することから始めましょう。今でも何年かに一度は悪夢として出てきます。そこには、久々に出席した講義の内容がちんぷんかんぷんで途方にくれる自分自身の姿があるのでした。

 

私が後に大学で専攻することになる物理という学問(教科)に初めて出会ったのは高校2年生のときでした。皆さん、ご存知のとおり物理と数学は密接な関係にあります。その関係とはどういうものか?というと、それぞれの立場から、それぞれの表現があろうかと思います。そのうちの一つとして私の意見を述べさせていただきます。「物理とは数学という言語を用いて自然現象を表現すること」。そんなわけで、数学がある程度できないと物理はできません。私は、小学校時代の算数から中学校の数学まで比較的よくできた方だったと思います。高校に入っても身近なところにライバルがたくさん増えて、特別できる方ではなくなりましたが、それでも授業がわからずに困った経験はありませんでした。

 

そして、高校2年で物理の授業(物理の中のひとつである力学)に出会ったとき、そのシンプルな法則によって多くの現象が表現できることに感動を覚えました。その頃の私は歴史、文学、政治など、多様な方面に興味があったのですが、試験の成績はどれもパッとせず、それに比べて物理の点数はほとんど満点かケアレスミスで1問落とす程度でした。また、並行して数学の授業で微分積分を学ぶと、力学がますます面白くなってゆきました。

 

1年浪人して入学した大学で、憧れの学問といえる物理に熱中できるはずだったのに…

楽しい大学生活は、私の心を限りなく開放し、学問以外のことに駆り立てゆくのでありました。教養課程である最初の2年間を終えるとき、さすがに正気を取り戻して何とか付け焼刃で試験をクリアして3年生として専門課程に進みましたが既に手遅れでした。本来やっておかなければならない知的訓練を疎かにしたまま、量子力学や数理物理学といった専門の講義を受けても、全く理解できないまま興味は削がれてゆき、教室に足を向けるのが恐怖に代わってゆくのでした。

 

 

 冒頭で晒した悪夢の要因のひとつとして、40年を経た今でも記憶の片隅に残っている言葉に“シュレディンガー方程式”があります。量子力学における重要な方程式だということ以外は、当時も今も、よく理解できませんが、若かりし頃の情熱を取り戻して何とか凌駕できれば例の悪夢から解放されるかもしれないと密かに目論んでいます。

 

 

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2018年

7月

10日

還暦に思う

私、本日をもって満60歳になります。今の日本では、特に長生きというわけではありません。普通に生きていれば多くの人が辿り着く年齢です。そうは言っても、既に亡くなった友人の名前を挙げれば一人、二人では済まないことを考えると、それなりの歳月を重ねてきたことに想いが至ります。特に、両親を見送り、子供たちの成人したところを見届けられたことで生を受けたことに対する一応の義務は果たしたと思っています。

 

子供の頃は自分が年を重ねた姿を想像することができませんでしたが、いつのまにか、自分も大人になって、想像すらできなかったことが現実になりました。しかし、その時点では自分の年老いた姿を目の前にいる親たちの姿に重ね合わせることはあっても、自分が存在していない世界に思いが至ることはありませんでした。そして今、この期に及んで尚、生に対する執着は衰えることはありません。(簡単に言えば死ぬことが怖い)

 

しかし、いくら怖いからといって、こればかりは避けては通れません。誰でも、いずれは必ず死を迎えます。それは、これまでの人生において身近な人の死を何度も体験するうちに、昨日まで生きていた人が今日は存在していないという、あの不思議な感覚を体験して初めて実感がわいてくるものかもしれません。

 

そうなると、自分がいなくなることによって周囲にどんな影響があるかが気になりだします。結局、自分がいなくても、それなりに世の中は回っていくだろうし、そもそも、そこに自分はいないのだから何が起ころうと関わり合いはないと割り切ることもできますが、そこは悟りとは縁遠い人間の考えることで、少しでも残された人から良く思われたいという、これも一種の煩悩のなせる「業」でしょう。この「業」を「わざ」と読むか?「ごう」と読んだか?によって、その人の人間観が異なるような気がします。

 

 

何はともあれ“還暦は あの世へ向かう一里塚 めでたくもあり めでたくもなし”

 

 

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2018年

7月

04日

「日の丸」と「君が代」

 サッカーワールドカップ、ロシア大会も一次リーグを終えて、勝ち残ったチームによる二次トーナメントに突入しました。日本代表もどうにか生き残り、並み居る強豪と激突することになりました。クラブチームの試合と違って、ナショナルチーム同士の対決なので試合の前に国旗が映し出され、国歌斉唱が行われます。結果も含め試合そのものが興味の対象であるには違いありませんが、普段は縁遠い国の国旗や国歌を知ることができるのも面白いところです。

 

 先日、試合が始まる前に用事を済ませてゆっくり観戦と思い、リビングを離れて別の部屋にいると聞き覚えのあるメロディーが耳に入ってきました。それはラ・マルセイエーズとして知られるフランス国家でした。もうすぐ60歳になろうとしているのに、こんなことも知らなかったなんて恥じ入るばかりですが、永久に知らないでいるよりもマシというものです。

 

 また、国旗に関して言えば、サッカーやラグビーがお好きな方にとって、このことは当たり前の常識かもしれませんが、これらの競技の発生の地であるイギリスの国旗である、お馴染みのユニオンジャックはワールドカップには決して登場しません。それはイギリスが4つの国の連合王国であって、外交、内政等においては女王陛下の元にひとつにまとまっていますが、サッカー、ラグビーなどでは本来の4か国がそれぞれナショナルチームを組んで競い合うライバル関係だということです。そして、この4か国の国旗を重ね合わせると、お馴染みのユニオンジャックになるという訳です。

 

 

 さて、日本の国旗と国歌については皆さんどう思われますか?私は、好き嫌いを論じたり、他の国と比べたりするものではないように思っています。日本で生まれ、日本で育ち、日本国籍を持ち日本人として生きている限り、日本に誇りを持って生きてゆく証として「日の丸」も「君が代」も唯一無二の存在であろうと考えます。

 

 

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2018年

6月

26日

光と影

 “この度の大阪の地震により被災された方々に対し、謹んでお見舞い申し上げます”

 

現在、開催中のサッカーワールドカップ、ロシア大会において、予想に反して、と言っては失礼でしょうか? 予想以上に、日本代表チームが活躍しています。私も日本人として大変、喜ばしく思っています。テレビ、新聞でも、このことが華々しく報道されていますが、このニュースが「光」だとすると、大阪の地震は、その「影」であるような気がします。たまたま同時期に起こったというだけで、両者の間には何ら関係はありませんが、その明るさという点において「光」と「影」のようなコントラストをなしています。

 

 

物理現象として、光が当たらなければ影は出現しません。また、絵画を描くにあたっては影を描くことで光を表現すると聞いたことがあります。地震発生から1週間が過ぎて被害の状況がはっきりしてきましたが、ワールドカップでの日本代表チームの更なる活躍が地震で被災した方々を勇気づけてくれることを願っております。

 

 

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2018年

6月

18日

地震の報道

 今朝(618日)大阪で大きな地震があったようです。大規模な停電などが起こっている様子ですが、こうした情報は地震の規模からみて、おそらく被害の一部分であって、詳細にわたる全容については今後の報道を待つしかありません。

 

 23年前の阪神淡路大震災のときもそうでした。当時、私はハワイに駐在していました。日本との時差は+5時間(正しくは-19時間)です。地震発生が日本時間午前6時頃ですから、ハワイ時間の午前11時頃です。その日、私は自宅とメインオフィスがあるホノルルを離れてハワイ島にあるプロジェクトの現場に来ていました。地震の第一報を耳にしたのは午後の会議の合間の雑談ですから、たぶん23時間後だと思います。もちろん、詳しい情報は得られず、ただ規模が大きいので心配だというだけでした。その後、夕方の便でホノルルに帰るため、レンタカーでコナ空港に向かい、予定の便でホノルル空港に到着。再び車を運転して自宅に着いたのが午後7時くらいだったと思います。その間、車中でラジオのニュースに傾注していましたが、時を追うごとに被害は大きくなり、新しい事実がはっきりするたびに死傷者の人数は1000人ずつ増えてゆきます。結局、全容がわかるには翌日を待たなければなりませんでした。大規模な災害においては迅速に正確な情報を掴むことが難しくなるのは致し方ないとはいえ、それだからこそ、その重要度は増してきます。

 

 

 今回の地震についても、現在(午後3時)のところ甚大な被害を告げる報道はありませんが、今後の報道で被害が拡大していることがなければいいなあと願いつつ、各種メディアに注意しているところです。

 

 

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2018年

6月

12日

目線の違い

 弊社の仕事は不動産業です。全部で90部屋余りを保有して、それらを貸したり、改修して売ったりしています。それでは弊社自身が日々の業務を行っている、この事務所はどうだろうと思いますか?ここは別のオーナーさんがお持ちのビルで、弊社はそれを借りて営業しています。つまり、自分でいくつもの不動産を所有しながら、それらは自身では使わず、第三者に貸して家賃を稼いでいます。そして、自分たちが仕事に使っている事務所は借りています。それゆえ、事務所の契約あるいは更新のときは普段の業務と逆の立場となります。

 

 さて、最近、家族が新しく住むための不動産が必要になり、本人たちと一緒に探し回りました。目当ての物件を担当する不動産業者のところに足をはこんで、現地を案内してもらいました。そのときは、自分が不動産業者であることを隠す必要もありませんが、わざわざ話しても特に意味がないので黙っていました。

 

 普段は貸すにしても、売るにしても、住まいを提供することが日常であるのに対して、逆に客として提供される経験は、なかなか新鮮なものです。それと、普段、お付き合いのある不動産業者ではなく、初めての不動産業者と客として接してみると、その応対も様々で興味深いものがありました。

 

 たとえば、こちらで希望した物件だけを忠実に紹介する不動産業者もいれば、A物件が駄目ならB物件、それでも駄目ならC物件というように、次々と紹介してくれる不動産業者もいました。前者は確実な仕事ぶりという点で信頼感を持てますが、掘り出し物を期待するならば後者のほうが望ましいかもしれません。しかし、あまりに度が過ぎたり、こちらのニーズを外した物件ばかり紹介してくるようだと、鬱陶しく不快に感じてしまいます。

 

 

 こういった普段と目線が異なる経験も大切にしてゆきたいと思います。現在、「ナイスアーバン大森」というマンションを、ほぼ全面改修して生まれ変わったお部屋として販売することを企画しています。我々はプロフェッショナルであるという誇りは大切に、新しい住み方を提案するのと同時に、常にサービスを提供される側からの目線を忘れずに小さなことでも痒いところに手が届くサービスを心掛けています。

 

 

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2018年

6月

05日

機種変更

 最近、4年ぶりに携帯電話の機種変更をしました。4年前にガラケーからスマートフォンに替えたので今回は2代目のスマホです。使い勝手が大きく変わると面倒なので同じメーカーの後継機を選んだので、ほとんど不自由せずにスムーズに移行できました。

皆さん、もう当たり前のことかもしれませんが、電話帳等やスケジュール管理などのデータをすべてクラウドに保存していたお蔭で新しい機械にアカウントとパスワードを入力するだけで今まで通りに使えます。

 

 あまりに簡単なので、調子に乗って今まで億劫で試してみなかった新機能にも手を出してしまいました。例えば指紋認証システムを初めて設定しましたが、慣れてくると大変便利です。また、この数か月間、健康管理のため毎朝血圧を測定してスマホに最初からあったアプリに記録していました。そこには、そのほか体重など様々なデータが入力できるのに使っていませんでした。そんな折に自宅の体重計が壊れてしまい、家族が新しいものを買ってきました。その機械には測定結果を手入力しなくても自動的にスマホに記録される機能がついていました。ただし、記録されるのは機器メーカーが開発したアプリであって、以前から使っている血圧を記録したアプリではありません、せっかく自動的に記録されたデータを違うアプリに手入力するのも面白くないので、いろいろと操作を試していると、見つけました。二つの異なるアプリのデータが互いに自動で記録されるようになりました。

 

 

 こんな調子で楽しく頭の体操に励んでいますが、いろいろなところに私個人のデータを登録していることに気が付いて、大丈夫かな?と漠然とした不安を抱きました。技術革新でますます便利な社会になりつつある一方で、こういったデータ管理にも十分に注意しなければいけないのではないでしょうか。

 

 

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2018年

5月

28日

大森にあるマンションが空きました

 先週、弊社が保有しているマンションのうち2部屋が空室になりました。ひとつは「クリオレジダンス大森センター」、もうひとつは「ナイスアーバン大森」です。ふたつが同じ時期に空室になったのに、特別の理由はありません。単なる偶然であって両者に共通する点は大森地区であって、また、最寄り駅が京浜急行だということぐらいです。それも、厳密に言えば、片方は住所が品川区南大井ですが、もうひとつは大田区大森西です。このような例は他にもよく見かけますが、マンション名を決めるのに、厳密な意味での住所を使わずに、その地域の象徴的な名前を使うことがあります。そうすることによって、地名の持つブランド力を活かしたり、また、乗り継ぎ駅などを暗示して利便性をイメージとして刷り込みます。この品川区南大井のマンションもJR大森駅から徒歩7~8分なので生活圏は大森です。

 

 今回、取り上げた二つのマンションの最寄り駅は大森海岸と大森町ですが、両駅の間に平和島という駅があります。この駅はすぐ近くにその名を冠した娯楽施設があって、その集客のためにも平和島という駅名になったと思われますが、それは昭和3691日のことで、それ以前は「学校裏」という珍しい駅名だったそうです。○○前という駅名はときどき見かけますが、学校裏というのは珍しいのでは?因みに、ここでいう表にあった学校というのが大森第二小学校だそうです。

 

 そういえば、大森地区にある大田区立小中学校には第一、第二、…と番号が付くものが多いのに対して、同じ大田区でも蒲田地区の小中学校にはそういったナンバリングは見られません。以前、このコーナーで大田区というのは昭和22315日に大森区と蒲田区が合併してできたことを話題にしました。大田の「大」は大森からとったので「太」ではなく、また、大田の「田」は田園調布の田ではなくて蒲田の田なのです。公立小中学校の名前の付け方にも、その昔、別々の行政区であったことが影響しているのでしょうか?

 

 

 今回、冒頭に取り上げた「クリオレジダンス大森センター」は賃借人を再募集して、引き続き家賃収入を目的に保有します。もうひとつの「ナイスアーバン大森」は室内を改修してリニューアルし販売します。これらの宣伝活動は優秀な社員に任せて、私の独り言は相変わらず、どうでもいいことになってしまいました。退屈しのぎくらいにしかなりませんが、最後までお読みいただき有難うございました。

 

 

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2018年

5月

21日

株主総会

 明日(522日)は弊社の株主総会です。年に1回、株主全員を招集して、取締役の選任や決算の承認など、重要案件について決定することになっています。会社の形態が株式会社であれば、どの会社においても必ず行われるはずの、とても大切な行事です。この株主総会、上場企業は勿論のこと、中規模以上の企業においては、きちんと規則どおりに行われますが、小規模の企業の多くでは形骸化しているのが実際のところです。

 

 このように、大切な株主総会が形骸化するのは何故かというと、株主の人数と属性に関係します。多くの企業が株式会社として産声をあげますが、これは資本金を株主が出資する形態です。しかし、これから事業を始める段階で、その将来性に期待して出資してくれるのは、創業者本人か身内しかいないというのが現実です。そして、多くの場合は経営トップ(社長)=筆頭株主となります。その後、年数を経て会社が存続しても特別に状況が変わらないかぎり、株主構成もそのままである場合がほとんどです。そうなると株主総会は毎年、決まった身内の会合ということになります。改めて会合を開かなくても、日常的に顔を会わせている経営陣及び身内で意思決定したことが、そのまま最終決定になります。これが形骸化の原因です。

 

 弊社の場合はというと、やはり、現在のところ株主は私一人だけで、全株式を所有しています。ですから、株主総会で議決権を持つのは私だけであって、極端な言い方をすれば、すべてが私の思い通りになります。それでも、規定に従って株主総会の日時、場所を設定して、たった1名の株主を招集し議案を事前に告知して賛否を問い、議事録として記録ニ残すということをします。それは、会社の重要案件を私個人の独断で決定するのではなく、私をサポートしてくれる人材を活用して、一人では気付かない問題意識を発掘することや、その解決策を用意するなど、会社が成長するためのチャンスを見逃さないためです。また、そのプロセスを議事録までを含めて記録、公開して将来に備える意図があるからです。

 

 

 このような手間と努力が実を結び、社会的信用を得て、身内以外からの出資が望める企業を目指していきたいと、毎年、心に誓っています。

 

 

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2018年

5月

15日

二刀流

 このところ、「二刀流」という言葉がマスコミに頻繁に登場します。言わずもがな、大谷翔平選手のアメリカ大リーグでの活躍を伝えています。これまで、バッティングとピッチングの両方の才能がある選手でも、どちらか一方に専念し、その分野で将来の超一流を目指すべく、もう片方の才能に目をつぶってしまうのが常識でした。二兎追うものは一兎を得ず、ということでしょうか。そして、多くの場合は野球というゲームの性質上、重要性が高いピッチングを選択するのでしょうか。しかし、そこで期待通りに才能が開花しないのを見極めて、途中からバッティングに転向し、本来の才能を開花させることもあるようです。いずれにしても、投打の両方において同時に活躍するということは例がなく、日米どちらからも注目されるのは必然かもしれません。

 

 これまでの大谷選手の活躍には拍手喝采を贈るとして、「二刀流」という表現には本来の剣術における二刀流のイメージからズレがあり、違和感を禁じ得ません。私が二刀流から連想するシーンは右手に長いバット、左手に短いバットを持って、外角球は長いバット、内角球は短いバットで打ち返してヒットを量産するといったもので、ルールに適合しているかは別にして少しユーモラスながらも痛快なシーンが目に浮かびます。その他にも、スウィッチバッターやスウィッチピッチャーのほうが二刀流のイメージに近いものがあります。しかし、私の勝手なイメージとは無関係に、これまでの大谷選手の実績と今後の活躍が、「二刀流といえば大谷」といったイメージを確立してゆくのでしょう。改めて若きアスリートにエールを送りたいと思います。

 

 さて、弊社が保有する不動産のひとつが空室になったとします。引き続き賃貸物件として借り手を募集することが多いのですが、ときに売却を企図することもあります。弊社は年間計画において、売却予定物件を概ね決めているので、当初の計画から大きくかけ離れて売却に走ることは考えずらいのですが、それでも、空室で売却するのと賃借人付き(オーナーチェンジ)で売却するのでは状況が異なります。そして、空室になるかどうかは、お住まいいただいている賃借人の都合であって、弊社ではコントロールできません。

 

 その結果、思いもかけず売却したほうが優位な状況も出現することもありました。そんなときは、賃貸募集と売却の「二刀流」で広告することが可能です。こちらの二刀流も大谷選手と同様、良い結果を期待したいところです。

 

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2018年

5月

08日

不動産市況に関する考察

 弊社は社名のとおり不動産を扱うことを本業としております。ひとくちに不動産業といっても業務の内容や規模において様々です。弊社の特徴としては、賃貸用(主に居住用マンション)を取得し、長中期保有して運用することにあります。ここでいう運用とは、賃貸による家賃収入が主体ではありますが、ときには空室になったときを機にリフォームして販売することもあります。その他、リフォーム工事や賃貸管理の請負などの周辺業務に手を広げていますが、大雑把に申し上げれば、このような内容となります。規模の点では、月額賃料5万円台のワンルームから数百万円のオフィスビルまで約90室、保有していますが、将来は居住用マンションを中心に保有物件をさらに増やしてゆく計画です。

 

 ここで、視点を変えて弊社の日常業務に焦点を合わせると、保有物件や管理を委託された物件が空室になったとき賃借人を募集します。ところが、今年になってから保有物件にほとんど空がでません。たまに空室がでても問合せが殺到して、すぐに借り手が決まります。この時期、別のオーナーから委託を受けた新築物件12室の募集を手掛け、これを短期間で満室にしました。空室に問い合わせが殺到することも、新たな募集が満室になったことも、社員の奮闘努力の賜物ですが、それにしても市況自体が好調でないとこうはいきません。

 

 また、基本的には保有物件を増やしていく方針なので、不動産の購入のための物件情報には常にアンテナを張り巡らしていますが、優良物件と判断できるものには、なかなか出会えません。反対に空室を売却に出す場合も問合せが増えてきました。この傾向は4月頃から顕著になってきました。賃貸の問合せが今年の年明けに既に活発になっていたのに比べて少し遅れてきたように感じます。

 

 

 弊社の取引件数は市場においてほんの僅かであり、ビッグデータを活用しているわけでもありませんが、日常業務から感じることとして不動産市況は売り手市場に傾き始めているような気がしています。以上、主観ではありますがご報告させていただきます。

 

 

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2018年

4月

24日

似ていないのに仲間

 先日、このコーナーで「似て非なるもの」として見分けがつかないほど似ているのに実は違っているものについて書きました。今日は、おなじみの野菜である「玉ネギ」と「長ネギ」をテーマに選んで、形状がまるで似ていないのに、実は仲間であるものについてお話しいたします。

 

 玉ネギと長ネギの形状について今更お話ししてみても退屈なだけです。皆さん、ご存知のとおり全く異なっていますが、どちらも強い刺激臭がすることなど共通点があります。また、食材としての成分も共通する物質が多く、分類学的にもネギ科(ユリ科)に属していて苗木のときは形状もよく似ています。同じ仲間にラッキョウとニラがあります。ラッキョウは玉ネギを連想させ、ニラのほうは長ネギに似ていないでもないですね。

 

 他にも、このような例はないかと眺めてみると「イチゴ」と「バラ」と「桜」は同じ仲間だそうです。これらは進化の過程で形状が変化したものの、原種の花の形を見ると、「なるほど」と頷けるようです。このような進化は哺乳類でも見られます。一説によると、クジラとカバは比較的近い関係の仲間であるとのことです。

 

 

 それでは人間の世界ではどうでしょうか?ひとまず、生物学から離れて宗教について言えば、信じる神様は唯一絶対であり同じであっても、その言葉を伝えるために選ばれた人物によって異なる宗教として広まって、それぞれの教義の違いから紛争に発展するという悲劇が起こります。私の知識は世界史の教科書によるものであって、純粋な信仰からの見地ではないことを一言、お断りしたうえで、同じ神様の下で仲良くできないものか、と思ってしまうのでありました。

 

 

 

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2018年

4月

02日

晴れた朝の独り言

 今日は年度始めです。気持ちを新たに新しい一年をスタートしたいと思います。毎年、この季節になると通勤電車の中で濃紺のスーツに身を固めた若者が4人、5人と連れ立って乗ってくる場面に出くわします。話している声のトーンや所作から、社会人というより学生らしさを感じる彼らは、おそらく新入社員なのでしょう。私たちのように毎年、新年度を繰り返している者とは異なり、彼らにとっては輝かしい未来と大いなる不安に満ち溢れた特別なスタートに違いありません。しかし、それが感じられるのは傍から眺めている私たちばかりで、本人たちはきっと、新しい環境に適応するために無我夢中で目の前のこと以外は目に入らないかもしれません。…というのが三十数年前の私自身の体験です。

 

 そして、今、あの頃よりも遠くを見る余裕があるにも関わらず、いや、それだからこそ見えてしまう安定した現実とその先にある限界に物足りなさを感じてしまいます。一方で、これではいけない、自分で限界を決めず、もっと遠くの景色を眺めてみたい、と気持ちを奮い立たせています。それでは、今の私に何ができるのでしょうか?正直言って、視力、聴力、体力は確実に衰えてきています。その影響でしょうか、何をやっても活動量が減り、集中力も持続できません。たとえば、PCやスマートフォンの操作において、説明そのものの理解力は衰えていなくても画面に映し出された文字を追いかけるスピードが若い人に比べて圧倒的に遅いのと、ひとたび操作を間違ったり迷ったりしたときに、ダメ元でいろいろ試してみる気力が衰えていて、つい指が止まってしまうのです。

 

 しかし、こんなことで沈んでいるわけにはいきません。「今の自分の武器は何なのか?」、よく考えると、これまでの経験だろうと思います。この経験から得られるものを突き詰めてみると精神的余裕と知識ということでしょうか。この知識というのが意外と厄介で、すぐに賞味期限が切れてしまいます。そして、無造作に古い知識をそのまま振り回すと恥をかくことになります。そこで、これからは知識の奥に隠れた本質を果物のエッセンスを抽出するように絞り出すことを心がけようと思います。限られた時間と体力で勝負するには、力任せにがむしゃらになるのではなくて、こういった工夫は最低限必要でしょう。

 

 

 年度始めにあたり呟くことといえば今年度の抱負とか目標が相応しいのかもしれませんが、今回は年齢を重ねることによる衰えの言い訳と衰えをカバーするための少々、図々しい意見をご披露しましたが、この図々しさも心強い武器の一つですね。

 

 

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2018年

3月

28日

行く春を惜しむ

 散りゆく桜を「花吹雪」と言うことがあります。また、降る雪を花にたとえた「雪の花」という季語があります。花と雪は互いに例え合う間柄であって、それは、両者が似ているというだけでなく、どちらも風情を感じるからだと思います。

 

先日、箱根に行く途中、雪に降られて渋滞に巻き込まれてしまいましたが、苦労して目的地に辿り着いてみると辺り一面、銀世界になっていて、その美しさに魅了されました。そして、翌日からのポカポカ陽気に桜の花が咲き始め、週末には見ごろを迎えました。ほんの数日の違いで雪景色と満開の桜を楽しむこととなり、今年の春は季節の移ろいも慌ただしく感じられます。

 

 

今を盛りと咲き誇る桜も吹雪に例えられて散ってしまい、その儚さにそぞろな思いを抱くことになるのでしょうか。今年は例年にも増して花見の計画が立て込んでいて、これから1週間で、4回は花を愛でるチャンスがあります。予報によると、お天気にも恵まれるようで、この限られた花見の季節を十分に楽しんでこようと思っています。ただし、行く春を惜しむがあまり、無理をすることは慎みたいと思います。来年も、また春はやってくるのですから…

 

 

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2018年

3月

19日

ライバル

 この数週間は冬季オリンピック・パラリンピックをテレビで視聴し、あるいは結果をニュースで知り、日本選手の活躍、感動の名場面に、度々気持ちが高揚しました。特に、勝者が敗者を称える場面など、スポーツでしか味わえない熱い思いが込み上げてきます。しかし、それは見ている立場だから言えることでしょう。どの種目でも競技ですから選手にとっては必ず勝敗のどちらかで決着がつきます。そして、選手であれば誰でも勝者になることを目指して人並みならぬ努力を重ねてきているはずです。自分を破って栄冠を掴んだ相手に笑顔で対応するのは、さぞ大変だろうと思ってしまいます。敗れた悔しさを超越して互いの検討を称え合う姿の背景には、長年のライバル関係において相手に対する敬意が芽生え、それが信頼へと育ったからなのでしょう。

 

 ライバル関係といえば昔から多くの例があります。たとえば「武田信玄」vs「上杉謙信」、私たちの世代で馴染みが深いのは「輪島」vs「初代貴乃花」、アニメの世界でも「星飛雄馬」vs「花形満」、「矢吹丈」vs「力石徹」などなど数え上げたらきりがありません。これらの物語にはライバルとの死闘の過程で互いに切磋琢磨することで大きく育ってゆく主人公の姿が描かれています。このことは、物語を面白く、美しく飾るための単なる状況設定ではなく、少年の柔らかな精神に正義、努力、我慢、向上心、友情など多くのことを植え付けてきました。

 

 私は思います。日本の総理大臣にもライバルが必要なのではないか?と、

そうすれば、国会や中央官庁で繰り広げられる事件が、もっと美しいストーリーになるのではないでしょうか?

 

おっとっと…スポーツと政治の世界を一括りに論じては真のアスリートから怒られそうですね。それでは、ここらでお開きとさせていただきます。

 

 

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2018年

3月

13日

これからのマンションの在り方

 このブログで皆さんに私の考えをお伝えするために、マンションについて、あれこれ思いを馳せていると、いろいろなアイディアが浮かんできます。そして、ただ考えているだけでなく、整理して文章にすることで、より一層その輪郭がくっきりと表れてきます。

 

 これまでマンションについていろいろな考えを述べてきました。老朽化したマンションの行く末を案じて、その対策に弊社のビジネスの方向性を見出そうとしていること、あるいは、どんどんと進化してゆく新築マンションが高級化の一途を辿っていることに対する不安、などなど。そして、それらを文章にしているうちに、私の夢である「これからのマンション」の在り方について頭の中で焦点が合ってきて、ようやく像を結ぶようになってきました。それをもって弊社が目指すべき新築マンションとしたいと思います。

 

 「私は、年を重ねることで魅力が増し、価値が認められるマンションを造りたい」

これまでのマンションは年代が新しいほど最新設備が揃っていて快適な生活が可能です。また、デザインにおいても、高級部材を使用してお洒落になっています。一般的には築年数が古いほど敬遠される傾向があり、したがって取引価格も低くなりがちです。しかし、ほかの物品をみてみると、たとえば腕時計やアンティークな家具などは古いからといって必ずしも価値が低いとはかぎりません。その理由のひとつに、部品を交換するなど、修理することによって、いつまでも実用に耐えられるからだと思います。マンションの設備も最初からいずれは改修工事によって新築同様の最新設備が取り付けられることを前提に設計してあれば、改修に掛る費用を抑えて比較的簡単に生まれ変わることが可能になるはずです。また、専有部分だけでなく、共用部分である上下水の配管や電気の配線、オートロックシステムなど、あらゆる点において将来の改修ができるようにしておくことによって、老朽化による価値の減少を防げると思います。デザインや立地条件においても、その特色を十分に活かした飽きのこない物件に仕上げます。建物の物理的な要件だけでなく、管理組合の規約から修繕積立金の計画に至るまで、すべてマンションの将来について考え抜いたものを採用する。他にも、魅力が増して、価値が認められるためには様々な工夫が必要です。

 

それは、これからの課題として、中古マンションを扱ってきて、その弱点を知り尽くしているからこそ可能となるニュータイプのマンションの建築を実現させたいという思いに至りました。今回もまた、肩肘張ったお話しになってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございます。この夢を夢で終わらせないよう頑張ってゆく所存です。

 

どうぞご支援賜りますようお願い申し上げます。

 

 

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2018年

3月

06日

春の訪れ

 昨日は午後から夜にかけて嵐が吹き荒れました。この季節の嵐は「春の訪れ」を告げていて、一雨ごとに暖かくなってゆきます。昨晩、私の住んでいるマンションに可愛らしいお客さんが春を告げにやってきました。午後9時過ぎに用事があって部屋の外に出た妻が「かわい~」を連発しながら戻ってきました。マンションの共用廊下に1213㎝ほどの蛙が一匹、ジッとたたずんでいる。珍しいことなので、私もすぐに見に行くと、痩せこけた蛙を見つけることがでました。そういえば、今日は啓蟄です。昔の人が創った暦通りに冬眠から目覚めたばかりの如何にも眠そうな蛙に自然の摂理を感じました。

 

 これからの季節は三寒四温で寒暖を繰り返しながら春が深まり、梅雨を迎えて夏になってゆく、これもまた、毎年、繰り返されることで、今更とりとめて取り上げることではありませんが、この繰り返しの中に法則性を見出し、生活の知恵として活用するにとどまらず、昔日の思い出を年輪のごとく重ね合わせて生きてきた、また、これからも、そうして生きてゆくのかなあ、と思うと、自身の過去に郷愁を覚えます。

 

 特に春は別れと出会いのシーズンということもあって多くの思い出が折り重なっていますが、ここ数年で最も衝撃的な出来事は2011311日に発生した東日本大震災です。早いもので、あれから7年が過ぎようとしています。私自身の生活について言えば、確実に意識が薄れてきていますが、深刻な被害を受けた方々や大切な人を亡くされた遺族の方々にとっては未だに思い出として簡単に片づけられないだろうと察しています。

 

 

 自然の摂理は美しく感じられますが、いつも優しい顔ばかりではありません。ときに大災害をもたらし、人々を悲嘆のどん底に突き落としてしまいます。それでも、繰り返し新しい春が訪れることを信じて頑張っている人が大勢いらっしゃると思います。そのことを忘れずに春を迎えたいと思います。

 

 

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2018年

2月

26日

未来のマンション

 前回、前々回とマンションの進化について拙い考えを述べてきました。引き続き、今回はこれからのマンションが、こうなってゆくのではないか、あるいは、こういうマンションを造ってみたい、ということについてお話ししてみたいと思います。

 

 本題の前に少し寄り道して自動車業界に目を転じてみます、最近の新車の販売広告等を見ていて、危険回避や運転者の負担軽減のための自動運転が目に付きます。かつては、そのスピード、馬力などの基本的性能に、カーナビやエアコンなどの付属設備、かっこよいデザインを宣伝対象としていたと記憶しいています。ところが、AI(人工知能)やその他技術の進歩によって、人間の操作を必要としない「自動運転」が脚光を浴び始めています。自動車もまた、進化の過程であって、様々な変化を遂げているようです。

 

 住居であるマンションは自動車のように移動はしませんが、住人が外出先から帰宅して、そこで食事や入浴、睡眠、寛ぎ、場合によっては仕事、そして再び外出するといった生活において、多くの操作を必要とします。これらの作業を自動車の例に倣って自動化するなんてことは考えられると思います。仕事から帰路につくと自宅の部屋がそれを感知して帰宅時間を予想し、それに合わせてエアコンが作動し、浴槽にお湯が溜まり、予定時間にエントランスの前に立つと再び、そのことを感知して扉が開き、エレベーターが自動的に下りてきて出迎えてくれる。その後の状況は皆さんの想像にお任せします。このような生活が果たして良いのか、悪いのか?いや必要なのだろうか?わかりませんが、「進化」の一形態としては十分在り得ることです。そして、そのための技術、費用においても巨大化する恐竜と同じ道を歩んでいるように感じます。

 

 ここでマンションの草創期を振返ってみたいと思います。一つの土地を複数の所有者の共有として、その上に共同住宅を建設し、専有部分と共有部分を取り決めて、さらに、管理費も含めたそこでの生活ルールを規約とし決めることで、狭い土地に高層の住宅を提供することができたことは、後から機能を付け加えることで巨大化してゆくだけの「進化」とは全く違った次元の画期的な「進化」だったと思います。そして、それは、その後のマンションの基本的な形態を決定づけることとなる革新的なアイディアでした。

 

 

 私が夢として追いかける新築マンションとはどのようなものか?その答えの一つは前述の「生活全般の自動化」です。しかし、ここに述べたように一方では巨大化する進化に危惧を抱いています。そこに、まだ答えの見つからない革新的なアイディアへの憧れを付け加えて、このお話を締めくくりたいと思います。

 

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2018年

2月

19日

進化の果てに

 先週は「マンション進化論」と題して草創期から現在売り出し中の新築に至るまで、様々な面で進化してきたことについて、簡単に触れてみました。今回は、マンションのどこが、どのように進化したのかを具体的にお話しさせていただきます。

 

 まずは、主な住空間を快適にするための専用部分についてです。新たな設備として、お風呂の追い炊き機能、浴室乾燥機能、キッチンにおける浄水器、食洗器、IH,リビング等における床暖房、ビルトインのエアコンなど新しい設備が付け加えられるようになりました。設備だけではありません。間取りについても当初と今とでは随分と異なります。たとえば、以前は、必ずと言っていいほど和室と押し入れとがセットになって配置されていましたが、最近ではほとんど見られません。理由として生活様式の変化もありますが、和室はふとんの出し入れによって寝室になったり客間になったり茶の間になったりと複数の用途に使えます。部屋全体の面積に十分な余裕がない場合は和室によって寝室と茶の間が兼用できることは大いに便利だったかもしれません。それにもかかわらず、和室が消滅したということは、全体的な専有面積が大きめにならざるをえません。たとえば同じ3LDKでも以前なら60㎡だったのが今は80㎡、今の60㎡は2LDKといったことです。さらにはワォーキングクローゼットやシューズインクローゼットといった新しい空間も造られるようになりました。

 

 次に、マンション全体のグレードに関わってくる共用部分についてです。当初のマンションは外壁に吹き付けタイルが使われていることが多く、今のような素敵なタイルで覆われているものは憧れでした。また、エントランスのデザインやオートロック、カメラ付きインターホンといったセキュリティーシステムも後に付加された機能です。建物の免震、耐震技術においても進歩していると思います。

 

 

 こうしてマンションの進化の歴史を大まかにまとめてみると、より快適な生活を求めて一方的に高級化してきたことがわかります。そうなりますと、当初は一戸建てに比べて割安感があることを売りにしていたマンションも、その高級感と実際の高額な価格に適合した立地条件でないとミスマッチを起こしてしまうという事態も見られます。これを生物の進化に準えると、まるで古代生物である恐竜がどんどん巨大化し、やがて絶滅して体の小さな哺乳類にとって代わられてしまったことを連想します。マンションも高級化の果てに、いわゆる億ションばかりになってしまい、一般の生活感覚と無縁の一部の人たちの住居になるのではないだろうか、との疑念を抱いてしまいます。「進化の果て」がこれでは、少々、寂しいとは思いませんか?今日のところは、この辺にして、続きは次回にいたしますので、引き続き目を通していただければ幸いです。

 

 

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2018年

2月

13日

マンション進化論

 最近、個人的な興味から新築マンションのモデルルームを立続けに見学して回りました。どのマンションも素敵な家具とともに競って最新設備が設置してあります。使い勝手もデザインも洗練されていて、誰でも住んでみたいと思うようなお部屋でした。セキュリティーに関しても、共用玄関のオートロックは当たり前で、その他にも目的の階数にしかエレベーターが止まらないようになっていたり、また、マンション全体が警備会社と契約して緊急時に出動してもらうようになっていたりと、いろいろな工夫を凝らしていました。

 

 こうした、実際に現地を見て回った印象に留まらず、資料から立地や交通の便、免振や耐火といった建物の構造においてもマンションは確実に「進化」していることがわかります。加えて、新築時の購入者から修繕積立金の一時金を徴収するなど、将来の長期修繕計画への備えも考慮するようになっています。日本の住生活にマンションという共同住宅が根付いて久しく、年月とともに多くの面で進化を遂げてきています。もはや、マンションは一戸建住宅へステップアップする前の一時的な住まいというより、都心の便利で快適な生活を謳歌するためのノウハウがぎっしり詰まった宝箱と言えるでしょう。また、これを手に入れるには、それ相応の対価が必要です。それが、新築マンションの価格であり、月々の管理費、修繕積立金です。

 

 弊社は、これまで「バリュアブル」を掲げマンションの価値を如何に引き出すかということに取り組んでまいりました。前述の新築マンションに比べて中古マンションは、「進化」の途上で商品化したといった見方をすれば(現在の新築も所詮は完成形ではなく、未来から見れば進化途上)、どうしても不足している部分があるので、そこをどのように補うかがテーマでした。それは、新築を追いかけるという見方もできます。現在も今後も、進化途上である中古マンションが大きな市場を形成する中で、このことは社会的に意義のある事業であると信じております。それは、弊社が引き続き、この分野に注力してゆく推進力として働いています。このことは、市場の動向に限らず現場の熱意においても言えると思います。

 

 

 しかし、ここで新たな夢を付け加えたいと思います。それは、既に進化を遂げた新築マンションを手本に後を追いかけるのではなく、新築の先をゆく新築を、つまり、進化の最先端をゆく事業です。それには、今以上の資金力と企画力が要求されます。今すぐは無理ですが、将来の夢として進化の最先端を目指すという夢を持ち続けたいと思っています。

 

 

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2018年

2月

06日

今年の運勢

 23日は節分、翌4日は立春と暦のうえでは春なのに、まだまだ寒い日が続きます。節分といえば子供の頃は豆を撒くことぐらいしか記憶になく、旧暦では、この日を境に年が改まるということを知ったのは、かなり成長してからです。実生活では今年になって早1か月が経ちますが、昔ながらの易で運勢を占うときは、旧暦を基準とするとのことです。

 

 さて、私の今年の運勢はどうかというと、どうやら厄年となっているようです。そして、いよいよ立春となり前述のとおり旧暦の新年を迎えて本格的に厄年に突入することになります。だからといって何をするつもりもありませんが、全く無視するつもりもありません。占いですから良い場合ばかりではなく悪い場合もあります。そんなときは、いろいろと注意事項が指摘してあって、それがリアルに役に立つなんてことがあったりして…

 

 話を今年の13日に戻します。お天気もいいので妻と二人で或る神社に初詣に行った時のことです。普段は「おみくじ」というものを引かないのですが、めずらしく試してみると、何と「大吉」でした。何となく嬉しいものですが、書いてある文言はすべて良いことばかりで、役に立ちそうな注意事項は皆無です。冷静に考えると、幾ばくかのお金を払って得られた占い(おみくじも含む)の結果は吉凶どちらに価値があるのかといった思いに至ります。

 

 占いに携わる方へ!ここまで書いて、今更、何ですが、それほど真剣に受け取っている訳ではありません。それでも先の分からない人生を少しでも明るく照らす工夫として楽しませていただいております。

 

 

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2018年

1月

30日

マンション管理組合は誰の為?

 最近、弊社で所有しているマンションの管理組合の理事を積極的にお引き受けしています。また、なるべく多くのマンションの総会に出席するよう心掛けています。そこで出会った方々から感じられる認識のズレについてお話ししたいと思います。

 

 マンション管理組合の構成メンバーは言わずもがな各部屋の所有者です。そして、所有者が居住している場合と所有者と居住者が別の場合(賃貸など)が考えられます。ここで明確にしておきたいことに、「マンション管理組合は居住者のためではなく所有者のためにある」ということです。最初から投資用として建てられたワンルームマンションなどはすべての部屋が所有者と居住者が別であるということも珍しくありません。そのようなマンションで特に顕著なことに、管理組合の運営方針も居住性や利便性より金銭的な効率に重点がおかれる傾向が強いということです。勿論、所有者は居住者から家賃をとって収入を得ているので高い家賃を安定して得るために居住者の満足度にも考慮しますが、それは、あくまでも手段であって目的ではありません。

 

 一方、所有者本人が居住するケースが圧倒的に多いマンションもあります。そのようなマンションでは先に述べた投資用マンションに比べて金銭的効率だけでなく、居住性や利便性にも配慮されます。例えば共用部分における子供の大声などもクレームの要因として管理組合が関与することも考えられます。その中で弊社は少数派として賃貸用の部屋を所有しています。

 

 

 そのような状況のもと、所有者と居住者が別々であって、所有者が管理組合の活動に参加できないとき、代理人として居住者が出席することに違和感を覚えない方がいらっしゃるのに驚かされました。これを一概に悪いことと決めつけるつもりはありません。その方にとって顔の見えない所有者よりも時々、顔を合わす隣人に親しみを覚えるのも当然です。しかし、それでは、町内会の餅つき大会や地域の子供会における催事など居住者の親睦を目的とする場合と混同しているのではないでしょうか。ここで、弊社としては、「居住者の満足無くして良いマンションとは言えないと」という考えを強調しておきますが、やはり、その責任は所有者にあり、運営に関する権限は所有者の手にあります。マンション管理組合が誰の為、何の為にあるかを考えさせられるエピソードでした。

 

 

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2018年

1月

23日

東京に降る雪

 私は東京で育ち、人生の大部分を東京で暮らしてきました。その経験から感じることに気候変動があります。具体的に言うと、以前に比べて東京の夏は暑くなり、冬は暖かくなってきたようです。いわゆる地球温暖化でしょうか?暖かくなったとはいっても、やはり冬になるとワンシーズンで数日(34日ほど)は雪が降ります。そして、何年かに一度は積もるほどの大雪になり、普段は雪に慣れていない東京は交通機関をはじめ様々な混乱を惹き起こすことになります。ちょうど昨日はそんな1日でした。

 

 子供の頃の雪の思い出もいくつかありますが、そのうちの一つに、中学の卒業式を終えて、高校の入学式を数日後に控えた時期ですから3月末くらいだったろうと思います。何故か一番寒い時期よりも春を目の前にした、この季節に大雪になることが多いようです。仲の良かった友達と二人で自転車に乗って静岡県の日本平まで往復する計画を敢行しました。その友人とは別々の高校に進学し、その後も別の道を歩み、公私ともに全く接点がなかったにもかかわらず、いまだに友情で結ばれていて年に数回はビールグラスを傾けます。

 

 この旅は23日で野宿することになっていて、今、思えば15歳の少年ふたりの無謀な計画でした。一日目、二日目と順調に経過して、いよいよ最終日、疲れた体で箱根の山道を下っているとチラホラと雪が舞ってきました。これが小田原につく頃には本降りとなり、視界を遮るとともに不安を掻き立ててきます。そして、横浜まで戻ってきたとき、何が何でも計画通り第二京浜国道に固執する私と、目の前に進路が見える第一京浜国道を主張する友人と意見が対立してしまいました。それまでも、その後も、このようにムキになったことはないのに珍しいことです。私としては体力的に疲弊しているところで道に迷っては大変だという思いがあって、いつになく強く自己主張しました。一方、友人は私より余裕があり、

合理的に近道を選んだということを、後になって思い出話で聞きました。結局、疲れ切った私の状況を考慮してくれて意見を受け入れてくれた友人、そのときの少し大人びた態度に敬意を抱きました。

 

 

 そんなこともあって、互いにタイプの異なる友人と私ですが、59歳になる現在まで良いお付き合いをさせてもらっています。東京の雪は降ってもすぐに溶けてしまいますが友情は溶けることなく続いています。

 

 

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2018年

1月

16日

流行

 このところ寒い日が続いています。この季節は毎年、インフルエンザが「流行」します。以前にも書き込みましたが、ちょうど、受験シーズンと重なるので、志望校を目指して頑張っている受験生とご家族は十分に注意してください。

 

 同じ「流行」でも流行語大賞の話題となると、少し肩の力を抜いて言いたい放題できます。去年(2017年)もいくつかの言葉が流行語大賞に選ばれましたが、その中で印象に残ったものは「忖度」です。今更、意味を解説する気はありませんが、この言葉、いかにも日本的で、果たして英語で何と表現するのだろう、との疑問が沸き起こり、さっそく調べてみました。

 

 意外にも guess / imagine / consider / take account of などを使うようです。また、例文として “ He just trying please him “のような表現も可能なようです。細かい英語の知識は、ともかくとして日本以外でも「忖度」する文化があるのかな、と再認識しました。

 

 

 この英語が流行語大賞に選ばれるほど一般的に使われているかはわかりませんが、思うに、他国との外交交渉などにおいて弱者が強者の国情を「忖度」することはあると思います。ロケットボーイと○○ファーストの間はどうなのでしょうか?こちらは相撲協会のように治まらないかもしれません。忖度は流行しても構いませんが、インフルエンザの流行はおさまってほしいものです。

 

 

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2018年

1月

10日

思い出の中の愛犬

今年の干支は戌ということで、これまで飼っていた犬について思い出を語ります。一番近い思い出は平成10年から約15年間一緒に暮らした黒地に白ぶちのオス犬です。ちょうど4本の足先が白く、まるで靴下を履いているようなので「ソックス」と名付けました。生後3か月で我が家に連れてきて以来、家族の重要な構成員としての役割を果たし、最後は静かに永眠しました。

 

父親はバセットハウンド、母親はイングリッシュスプリンガースパニエルという犬種のミックスで、両親の特徴を受け継いだ胴長短足の極めて珍しい外見でした。体重25㎏、体高30センチメートルというずんぐりむっくりした体型にもかかわらず走るのも跳ぶのも他の犬には決して劣らず、特に長時間歩くことが得意で、散歩が好きな私に付き合って23時間、歩いてくれました。

 

当時、横浜に住んでいましたが、ある日、実家がある大田区に連れてゆき散歩していると、遠くからそっくりの犬が飼い主に連れられて歩いてくるのに遭遇して、これは兄弟犬かな?と思い、じっと見ていると、向こうも同じことを感じたのでしょう。どちらともなく誕生日を確認すると、やっぱりそうでした。その後、別の兄弟にも別の場所で遭遇して驚いた経験があります。

 

 

15年という長い期間にはいろんなことがあって、とても書ききれませんが、どんなときも一緒にいて家族の絆となってくれたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

 

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2018年

1月

05日

新年のご挨拶

皆様、明けましておめでとうございます。本年も皆さまにとって素晴らしい一年でありますよう願うとともに、弊社がそのお手伝いができますよう奮闘努力してまいる所存です。

 

さて、何を為せば皆様のお役に立つことができるかについて休暇の間、考えてみました。

このコーナーに目を通していただいている皆様が、弊社の保有(または管理)するマンションにお住まいの賃借人の場合なら、住み心地の良い住環境を提供できるよう、室内の設備機器や内装などのハードに限らず、家賃の支払いやそれに伴うサービスといったソフトにも工夫を凝らしてまいります。また、そこで養ったノウハウは、弊社に賃貸管理を委託していただいているオーナー様にとっても、より大きな収益がお約束できるものと信じております。

 

 その他にも、弊社が保有するマンションにおいて、管理組合の一員として共用部分の改善や管理費の使い方を見直すなど効率化を図ることも重要な課題と考えております。そうすることにより、よりリーズナブルな管理費で、より高い賃料収入を目指すことができます。これらマンション全体の価値を最大限に引き出すことで多くの方にお役立ちできると思います。

 

 

 去年までの繰り返しになりますが、新年にあたり以上のことを改めて決意表明してご挨拶とさせていただきます。

 

 

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