2018年

7月

24日

方程式と恒等式

 前回、悪夢の原因の一つとしてシュレディンガー方程式を挙げました。今回、この話をするつもりはありません。なぜならば、これは私の人生における宿題のようなもので皆さんにお付き合いいただくものではありません。ただ、この等式が恒等式ではなく方程式であるということに着目して独り言を述べてみます。

 

 方程式と恒等式は等式という点では同じですが、異なる意味を持っています。よく似ているので中学や、高校の数学でこの二つを混同して迷路に入り込むことがありました。どこが、どう異なるかというと「方程式はある特定の値において成り立つ等式であるのに対して、恒等式はどんな値でも成り立つ等式です」そして、方程式を成立させる特定の値を解と呼びます。方程式にも一次方程式、二次方程式、…次方程式、連立方程式、微分方程式、偏微分方程式などなど、いろいろありますが、いずれも解を導き出すことが、その命題です。因みにシュレディンガー方程式は偏微分方程式だったはずです。

 

一方、恒等式はと言うと、どんな値でも成立するわけですから解は存在せず、むしろどんな場合でも成立することを証明することが命題になります。身近な例としては因数分解の公式などです。因みに公式と呼ばれるものは皆、恒等式です。前述の迷路の典型的な事例として以下に示します。解を求めるために立てたつもりの方程式が、与えられた条件を一つ忘れて使わなかったために恒等式が出来上がってしまい、解が見つからないという事態が考えられます。

 

ここで数学の世界から離れて、しばし実生活で考えてみましょう。東京の地下鉄はいろいろな路線が入り組んでいて極めて便利ですが大変複雑です。A駅からB駅まで行くという命題に対する解はいくつも出てきます。それどころか遠回りしてもいいから、とにかく到着すればいいとなると、極論を言えば、わざわざ大阪経由で行ってもいいわけで無限に答えが見つかります。これって、何か恒等式に似ていませんか?そして、最速で到着するという条件を付け加えると、恒等式が方程式に代わって、一つの解に絞られてきます。皆さん、スマフォの検索機能はお使いになるかと思いますが、コンピューターの頭脳は、きっと数学的に方程式を解いて解を導き出しているのかもしれません。

 

 

このようなことは、人間であれば、わざわざ数学を引っ張り出さなくても常識の範囲で誰でも処理しています。同様にシュレディンガー方程式がわからなくても、生活に不自由はありません。ただ、ひたすら「悪夢から解放される」という解を求めて…

 

 

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2018年

7月

17日

悪夢から解放される日

今回は恥を忍んで学生時代のことを吐露することから始めましょう。今でも何年かに一度は悪夢として出てきます。そこには、久々に出席した講義の内容がちんぷんかんぷんで途方にくれる自分自身の姿があるのでした。

 

私が後に大学で専攻することになる物理という学問(教科)に初めて出会ったのは高校2年生のときでした。皆さん、ご存知のとおり物理と数学は密接な関係にあります。その関係とはどういうものか?というと、それぞれの立場から、それぞれの表現があろうかと思います。そのうちの一つとして私の意見を述べさせていただきます。「物理とは数学という言語を用いて自然現象を表現すること」。そんなわけで、数学がある程度できないと物理はできません。私は、小学校時代の算数から中学校の数学まで比較的よくできた方だったと思います。高校に入っても身近なところにライバルがたくさん増えて、特別できる方ではなくなりましたが、それでも授業がわからずに困った経験はありませんでした。

 

そして、高校2年で物理の授業(物理の中のひとつである力学)に出会ったとき、そのシンプルな法則によって多くの現象が表現できることに感動を覚えました。その頃の私は歴史、文学、政治など、多様な方面に興味があったのですが、試験の成績はどれもパッとせず、それに比べて物理の点数はほとんど満点かケアレスミスで1問落とす程度でした。また、並行して数学の授業で微分積分を学ぶと、力学がますます面白くなってゆきました。

 

1年浪人して入学した大学で、憧れの学問といえる物理に熱中できるはずだったのに…

楽しい大学生活は、私の心を限りなく開放し、学問以外のことに駆り立てゆくのでありました。教養課程である最初の2年間を終えるとき、さすがに正気を取り戻して何とか付け焼刃で試験をクリアして3年生として専門課程に進みましたが既に手遅れでした。本来やっておかなければならない知的訓練を疎かにしたまま、量子力学や数理物理学といった専門の講義を受けても、全く理解できないまま興味は削がれてゆき、教室に足を向けるのが恐怖に代わってゆくのでした。

 

 

 冒頭で晒した悪夢の要因のひとつとして、40年を経た今でも記憶の片隅に残っている言葉に“シュレディンガー方程式”があります。量子力学における重要な方程式だということ以外は、当時も今も、よく理解できませんが、若かりし頃の情熱を取り戻して何とか凌駕できれば例の悪夢から解放されるかもしれないと密かに目論んでいます。

 

 

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2018年

7月

10日

還暦に思う

私、本日をもって満60歳になります。今の日本では、特に長生きというわけではありません。普通に生きていれば多くの人が辿り着く年齢です。そうは言っても、既に亡くなった友人の名前を挙げれば一人、二人では済まないことを考えると、それなりの歳月を重ねてきたことに想いが至ります。特に、両親を見送り、子供たちの成人したところを見届けられたことで生を受けたことに対する一応の義務は果たしたと思っています。

 

子供の頃は自分が年を重ねた姿を想像することができませんでしたが、いつのまにか、自分も大人になって、想像すらできなかったことが現実になりました。しかし、その時点では自分の年老いた姿を目の前にいる親たちの姿に重ね合わせることはあっても、自分が存在していない世界に思いが至ることはありませんでした。そして今、この期に及んで尚、生に対する執着は衰えることはありません。(簡単に言えば死ぬことが怖い)

 

しかし、いくら怖いからといって、こればかりは避けては通れません。誰でも、いずれは必ず死を迎えます。それは、これまでの人生において身近な人の死を何度も体験するうちに、昨日まで生きていた人が今日は存在していないという、あの不思議な感覚を体験して初めて実感がわいてくるものかもしれません。

 

そうなると、自分がいなくなることによって周囲にどんな影響があるかが気になりだします。結局、自分がいなくても、それなりに世の中は回っていくだろうし、そもそも、そこに自分はいないのだから何が起ころうと関わり合いはないと割り切ることもできますが、そこは悟りとは縁遠い人間の考えることで、少しでも残された人から良く思われたいという、これも一種の煩悩のなせる「業」でしょう。この「業」を「わざ」と読むか?「ごう」と読んだか?によって、その人の人間観が異なるような気がします。

 

 

何はともあれ“還暦は あの世へ向かう一里塚 めでたくもあり めでたくもなし”

 

 

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2018年

7月

04日

「日の丸」と「君が代」

 サッカーワールドカップ、ロシア大会も一次リーグを終えて、勝ち残ったチームによる二次トーナメントに突入しました。日本代表もどうにか生き残り、並み居る強豪と激突することになりました。クラブチームの試合と違って、ナショナルチーム同士の対決なので試合の前に国旗が映し出され、国歌斉唱が行われます。結果も含め試合そのものが興味の対象であるには違いありませんが、普段は縁遠い国の国旗や国歌を知ることができるのも面白いところです。

 

 先日、試合が始まる前に用事を済ませてゆっくり観戦と思い、リビングを離れて別の部屋にいると聞き覚えのあるメロディーが耳に入ってきました。それはラ・マルセイエーズとして知られるフランス国家でした。もうすぐ60歳になろうとしているのに、こんなことも知らなかったなんて恥じ入るばかりですが、永久に知らないでいるよりもマシというものです。

 

 また、国旗に関して言えば、サッカーやラグビーがお好きな方にとって、このことは当たり前の常識かもしれませんが、これらの競技の発生の地であるイギリスの国旗である、お馴染みのユニオンジャックはワールドカップには決して登場しません。それはイギリスが4つの国の連合王国であって、外交、内政等においては女王陛下の元にひとつにまとまっていますが、サッカー、ラグビーなどでは本来の4か国がそれぞれナショナルチームを組んで競い合うライバル関係だということです。そして、この4か国の国旗を重ね合わせると、お馴染みのユニオンジャックになるという訳です。

 

 

 さて、日本の国旗と国歌については皆さんどう思われますか?私は、好き嫌いを論じたり、他の国と比べたりするものではないように思っています。日本で生まれ、日本で育ち、日本国籍を持ち日本人として生きている限り、日本に誇りを持って生きてゆく証として「日の丸」も「君が代」も唯一無二の存在であろうと考えます。

 

 

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