苦手な英語も努力次第

学生の頃、英語の学習には本当に苦労しました。そもそも英語に限らず「言葉」というものには背景に豊かな文化があり、ひとつの単語には成り立ちから有名な使われ方、国民性や習慣またはその国の歴史からくるイメージがあって、それらをある程度理解して初めて本当の意味がわかってくると思います。ですから”wood”=『林』というように単純に1対1で対応しているわけではなく、場合によって『森』であったり“bush”であったりします。例えが稚拙で恐縮ですがなんとなくご理解いただけたのではないかということで話を進めます。

 

このことに気づかされたのは32歳から約6年間、仕事でハワイに赴任して英語に接する機会を得たことによります。それまでの私は翻訳するにも暗号解読するような意識しかなく、前述の豊かな文化など頭の片隅にもありませんでした。

 

このときに、もう一つ世間で言われている常識で大いに疑問に思ったことがあります。

それは、「子供は何の苦労もなく語学を修得できる」と思われていることです。子供も大人も修得するまでの努力は同じのような気がします。ただし、その学習環境には確かに差があって大人には逃げ道、言い訳が沢山思いつきますが子供はひたすら順応せざるをえません。

 

「バイリンガル」という能力があります。ごく簡単に二か国語が使えることという意味です。では、どの程度の会話が可能な人を「バイリンガル」と呼ぶのでしょうか?まさか挨拶程度はできるが買い物やレストランで注文することも覚束ない人はその名に値しないでしょう。

でも日常会話はパーフェクトでも契約行為等の知的会話ができないハワイ育ちの日本人もいました。この人の国籍は日本でありながら内閣総理大臣が国会において議員による間接選挙で選出される、いわゆる議員内閣制についての知識がなくUSAの大統領選挙では国籍(市民権)がないため選挙権がありません。そこに海外で子育てすることのリスクを感じました。