実社会に踏み出すときからの「こだわり」(創業秘話2)

 前回の話で私の心の中にある熱いモノの正体とはいったい何なのか?臆する気持ちを抑えて簡潔にご説明しますと「株式を公開して大きな資金を調達し、ビッグビジネスを展開する」とでも言い表すしかありません。志と呼ぶには何とも稚拙で衝動的であり、今こうして皆さんの目に晒すことに抵抗を感じます。そもそも調達した資金を何にどのように使って何を成し遂げようというのでしょうか?そのようなことを後回しにして株式の公開に強く拘ったのには理由があったのです。


 さらに遡ること十数年、1982年の夏、私は卒業を翌年の春に控え、進路において大きな決断をしました。それは大学で専攻した物理学に見切りをつけ(そうせざるをえない、というか学問のほうで私を見限って)父の後継者としてビジネスの世界で生きてゆくことを選んだことです。当時、父の会社は東京証券取引所第二部に上場する準備に追われていましたが、その準備作業に限らず取引のあらゆる面で親密な関係であった「すてきナイスグループ」に入社しました。(そのご縁で現在でも様々な面でご支援を賜っています。)


 その後、1983年12月に父の会社は首尾よく上場し、数年を経て一部に昇格します。

このような環境の中で大学生の私は株式を公開することで大きな力を得ると同時に会社は創業者やその一族のものでなくなり、社会において公共性を求められことを強く意識し、血縁のみで己が後継者として名乗りを上げることの功罪など考えた結果の決断でした。

 

 話を1996年の成田空港に戻しましょう。私はハワイでの自分のやってきた仕事の成果(外部からの評価はともかく、自己評価ではそれなりに自信がありました)と株式公開によって得られる力を知ったうえで前述の志なる自意識を引っ提げて帰国しました。

(つづく)