やっと見つけた使命感なれど未だ道のり遠く(創業秘話最終回)

1999年、手始めに相鉄線星川駅の近くにある38室の店舗と住宅が混在するビルを取得すると、家賃収入により資金繰りが安定してきました。その後、同じような規模のマンション10棟を購入し、建物の室内外にかかわらず不具合を補修したり、賃料の滞納常習者に対応したり、新しく自転車置場を設置して玄関先に乱雑に散乱するのを防いだりと、住んでる賃借人に快適な生活を提供する。一方で他のマンションよりきめ細かな管理を目指して稼働率を上げて収益性を改善し、投資対象として魅力を増して、これを売却することで利益を得ることができました。

 

今では、このような事業は弊社だけでなく多くの人々が手掛けています。しかし、1999年当時はあまり多くは見られず、競合相手がいない中で面白いように案件が見つかりました。

そのころ、私の頭の中にあった方程式は、購入時の利回り13%、売却時の利回り10%で取引することでした。

 

その他にも区分所有のマンション1室を購入してリフォームした後に売却することで利益を得るといったことも随分と手掛けました。ところが、いつまでも一人勝ちの時代は続きません。多くの企業が同様のビジネスに参画してきて、弊社のビジネスチャンスは小さく萎んできます。そこで打開策として出した答えは、その時点で最も利回りの高い物件を集中的に取得して売却益より家賃収入を主体に事業を組み立てることでした。このような意図で物件を物色した結果、川崎から横浜にかけてワンルームマンションを中心に150室所有していました。

 

次の転換点は都心部以外の低価格賃貸物件(ワンルームマンションもこの範疇)の将来性に疑問を持ったことです。急ぎの売却は考えていなくとも日本の人口が減少してゆくことが明白であり、住居が余り始めているときに最後まで価値が維持できるのは都心部ではないでしょうか?特に山手線の内側もしくは周辺部については利便性、希少性を考慮すると最も将来性の高いエリアであって、なるべく早く所有物件をこのエリアに移転しておきたい。との衝動に突き動かされました。

 

こうしてマンションを中心に所有者として、賃貸物件の貸主として、また補修、改修の工事業者として経験を積んできたことから想うこと、それは多くの物件が造りっ放しで朽ち果てる運命にあるのではないか?という焦燥感です。そこに社会における弊社の使命があるのではないか…

特にマンションにこだわる理由は、区分所有という特殊な形態による問題を的確に処理することができるという点で若干の誇りを感じています。

 

今の私は株式上場を目的としてはいません。マンションが持つ潜在価値が最大限に引き出されさえすればそれでいいのです。ただし、そのためには大変な資金力が必要です。株式上場はそのための手段として選択肢のひとつです。

 

この度は何話にもわたってお読みいただきありがとうございました。いろいろと記した中には私見が多く、賛同しかねることもあろうかと思います。そんなときはどうぞ遠慮なさらずにご意見、ご批判を頂ければ幸いです。

(おわり)