新聞やめました

昨日、23歳からずっと愛読してきた日経新聞の購読を取止めました。といっても毎朝、自宅の郵便受けに配られる紙に印刷されたものを取止めただけで、電子版については今後も有料で購読するつもりです。これまでは電子版でホットなニュースをチェックし、興味深い記事や「なぜだろう?」と疑問に思う記事については紙面でじっくりと読み、同じ紙面に解説記事などが掲載してあれば一字一句、丁寧に読んでいました。この読み方は電子版で見出しを眺めてから記事を選択して読むので自分で興味があること以外は切り捨ててしまいます。効率はいいのですが何か新聞を通して未知の教養を探求することとは少し異なる読み方でした。

 

23歳で購読する契機となったのは、就職を翌年に控えた初夏、会社訪問のために社会人として常識を身に着けようと思ったからです。そして就職してから、ほぼ毎日、単に日課というよりも、より強い義務感をもって一面から最終面の「私の履歴書」やコラムまで目を通すようにしていました。その頃、前の晩に摂取したアルコールの影響で苦痛を感じる朝でも比較的、記事の内容が平易なものが多いということで後ろの面からページをめくるなど工夫しながらも日々、新聞に慣れ親しんでいました。

 

転機は約5年前、就職した娘が従来の新聞購読契約に電子版を付加して、娘本人は電子版を読むことを提案してきました。それまで紙面の隅から隅まで目を通していた私でしたが、これ以降、徐々に電子版で記事を取捨選択するようになったのです。

 

ところで数年前に北アフリカや中東の一部において所謂ジャスミン革命と呼ばれる政権交代の連鎖があったこと記憶に新しいと思います。そのとき、マスメディアによる報道とインターネットを通して現地市民からの投稿記事との間にズレがあることが指摘されるようになりました。それは、どちらか一方が事実を捻じ曲げているのではなく、たぶん、それぞれの立場の違いからくる解釈の違いなのでしょう。そういったことに触れてから私のこれまでの習慣であった新聞の熟読が崩れていきました。そして、ただ起こった、あるいは起こってしまった事実だけを正確に知ったうえで、新聞、テレビ等の報道から受ける先入観を避けて評価したり対処するよう心がけています。

 

 

日経新聞の電子版によってスピーディーに知り得た事実を自分なりに判断して日常生活、仕事の将来といった、大げさに言えば今後の人生に活かしてゆくためには記事を取捨選択するセンスとより深く、しかもフェアに解釈するネットワークを身に着けていきたいものです。