還暦に思う

私、本日をもって満60歳になります。今の日本では、特に長生きというわけではありません。普通に生きていれば多くの人が辿り着く年齢です。そうは言っても、既に亡くなった友人の名前を挙げれば一人、二人では済まないことを考えると、それなりの歳月を重ねてきたことに想いが至ります。特に、両親を見送り、子供たちの成人したところを見届けられたことで生を受けたことに対する一応の義務は果たしたと思っています。

 

子供の頃は自分が年を重ねた姿を想像することができませんでしたが、いつのまにか、自分も大人になって、想像すらできなかったことが現実になりました。しかし、その時点では自分の年老いた姿を目の前にいる親たちの姿に重ね合わせることはあっても、自分が存在していない世界に思いが至ることはありませんでした。そして今、この期に及んで尚、生に対する執着は衰えることはありません。(簡単に言えば死ぬことが怖い)

 

しかし、いくら怖いからといって、こればかりは避けては通れません。誰でも、いずれは必ず死を迎えます。それは、これまでの人生において身近な人の死を何度も体験するうちに、昨日まで生きていた人が今日は存在していないという、あの不思議な感覚を体験して初めて実感がわいてくるものかもしれません。

 

そうなると、自分がいなくなることによって周囲にどんな影響があるかが気になりだします。結局、自分がいなくても、それなりに世の中は回っていくだろうし、そもそも、そこに自分はいないのだから何が起ころうと関わり合いはないと割り切ることもできますが、そこは悟りとは縁遠い人間の考えることで、少しでも残された人から良く思われたいという、これも一種の煩悩のなせる「業」でしょう。この「業」を「わざ」と読むか?「ごう」と読んだか?によって、その人の人間観が異なるような気がします。

 

 

何はともあれ“還暦は あの世へ向かう一里塚 めでたくもあり めでたくもなし”