夏の過ごし方

 季節感とは四季折々の気候や動植物などの自然、あるいは古くから人々の間で営まれてきた行事を通して、その季節の特性を感じることで湧き出てくる感覚です。そして、才能ある一部の人は、その感覚を切り取ってきて言葉や音楽、絵画、映像などで表現し、多くの凡人は、それによって癒され、励まされてきました。したがって、夏は夏らしく暑いことをポジティブに捉える傾向がありました。たとえば、照り付ける日差しにさえ、この季節特有の解放感と冒険心を感じ、いつのまにか秋が近づいてくると、過ぎゆく夏に惜別の想いを抱くものでした。

 

ところが、ここ数年、夏の暑さはエスカレートし、今年ときたら、もう呆れるばかりです。日本全国35℃を超えるのが当たり前で、テレビでは毎日のように「命にかかわるので熱中症に注意するように!」と呼びかけています。それに加えて台風の当たり年などと揶揄され、大雨により甚大な災害を被りました。これでは季節感による癒しどころか逆に、怒りや悲しみといった、むき出しの激情を呼び覚まされてしまいます。それゆえ、過ぎゆく夏を惜しむなどと気取っている心境にはなれません。一日も早く秋を出迎えて涼しくなってもらいたいと願うばかりです。

 

翻って自分自身の周囲を見渡してみると、自宅はエアコン、事務所もエアコン、通勤電車の中ももちろん、エアコンがあって、たまに外気の熱風に吹かれても、さほど体に負担はかからずに暮らしています。被災地にお住まいの方やその地に乗り込んだボランティアの方々には大変申し訳ありませんが、私たちは文明の利器に助けられて、どうにかやっています。だからといって安穏としている訳にはいきません。小さな故障ならともかく、大規模災害による停電などが発生すれば、今の生活は到底不可能なことは容易に予想がつきます。そして、その危険性は思いのほか身近に迫っているかもしれません。

 

 

自然は人々に美しい姿で微笑みかける一方で、ひとたび牙を剥くと絶大な力で人々の生活を破壊してしまう恐ろしい存在でもあります。思えば、歴史とは人と人との関係ばかりではなく、自然との闘い、あるいは共存が繰り返されてきたともいえます。だからといって人もまた、自然の一部なのだからと諦めてみても、少しも涼しくはなりません。結局はエアコンのスウィッチを押して今日一日を凌ぐ夏の日でした。