日本人のアイデンティティー

京都大学の本庶特別教授のノーベル医学生理学賞が決定したニュースが流れて、特に縁もゆかりもない私ですが、同じ日本人というだけで何かしら明るい気持ちになりました。受賞の対象となった研究については門外漢なので世の中の役に立つ立派なものであろうということだけで特に言及しません。本庶先生には心よりお祝い申し上げます。

 

ところで、近年、テニス、ゴルフ、フィギアスケート、水泳、野球、卓球などのスポーツの世界でも日本人の活躍が話題になりますが、そういうときも今回と同じく、そこはかとない嬉しさを感じます。これは偏に日本人としてのアイデンティティーに起因するものと考えます。それでは自分が日本人であるという意識を強く抱くのは、一体どんなときだろうと思い返してみると…

 

私は20数年前に6年間の海外赴任生活を経験しています。そのときの心境とその前後の気持ちを比較すると、やはり海外にいるときは、日本国内で生活しているときには感じない日本人としての意識を強く抱く場面に出くわしたことを思い出します。例えば、現地でスムーズに生活するために、現地の行政府が発行する身分証明書を取得しました。その際の申請書には10本の指の指紋を押さねばなりませんでした。両手がインクでベタベタに汚れたことを生々しく覚えています。また、何かトラブルに巻き込まれたとき(幸いにして私たち家族は大丈夫でした)、頼りになるのは警察ではなく、日本国大使館(あるいは領事館)、さもなければ、高額な費用で雇った弁護士でした。

 

 海上自衛隊勤務の親戚が自衛艦で私の赴任地に寄港したときのことです。めったにない機会なので、その人が乗っている艦が停泊している岸壁まで連れていってくれました。そのとき、目に飛び込んできた日の丸の旗に、思わず眼がしらが熱くなったことを記憶しています。私個人の主義主張を考慮して、普段の国内での生活では在り得ないことです。

 

日本国内にいると、当たり前のように受けている行政サービスも、実は少しも当たり前ではなく、近代国家という制度によって日本人は守られているからこそ、当たり前の生活が送れることに気付かされるエピソードでした。