化石

 私が生まれたのは川崎市幸区鹿島田というところです。60年前のその当時、川崎市は政令指定都市ではなかったので住所に幸区がありませんでした。住居表示だけでなく、街並みも変わりました。鹿島田というのは南武線の駅ですが、当時はこの駅しかなくて、お出かけするには川崎に出るか、または武蔵小杉で東横線に乗り換えるのが常でした。それが、今では近くを走る横須賀線(および湘南新宿ライン)の新川崎駅ができて、従来からある鹿島田駅と空中デッキで繋がっています。その周辺には高層マンションが立ち並び、以前は田んぼがあって蛙が鳴いていたことなど想像もできない景色です。それでも、たまに用事があって商店街を歩いてみると、昔と変わらぬ風景の中に小学校の同級生の家や、掛かりつけだったお医者様の看板などを目にすることもあって、郷愁を誘います。

 

この街で9歳までを過ごして、次に住んだのは蒲田の西口です。こちらは、今の事務所と蒲田駅をはさんで反対側に位置し、距離的にも遠くないので頻繁に足を向ける機会があります。そのせいもあってか、部分的な変化は気が付いても概ね街並みは変わっていないように感じます。それよりも変化を感じるのは高校時代に通学で利用した東急目蒲線です。

 

ご存知のとおり蒲田から目黒まで通じていた目蒲線ですが、途中の多摩川園(旧名)で多摩川線と目黒線に分断され、しかも、かつての遊園地の名残である多摩川園の駅名が多摩川に変更、駅の風景も様変わりしました。今は無き遊園地の思い出は小学生の頃、大人に連れて行ってもらったことですが、その後、跡地に造られたテニスコートなどの施設も記憶に残っています。

 

 

今、そのテニスコートもなくなって公園になっています。現在の私の自宅と隣接しているので、通勤で園内を横切っています。昔を知る者として、この大きな変化に不思議な感情を覚えることがあります。昔のことを知るだけに昔を述懐したがるなんて、かつて父母の昔語りを聞かされたときに頭に浮かんだ「化石」という言葉がよみがえってきました。そう呼ばれないよう自重しなければいけないところ、うっかりやっちゃいました。