仕事をすることで何を実現したいか?

 私の好きな小説として、まずは夏目漱石の「草枕」の名が最初に挙がります。高校時代に夢中になって読み耽ったことも遠い記憶の彼方になってしまいましたが、これまで、そしてこれからの人生にも影響を与える作品であることに違いありません。

 

まずは、「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに、人の世は住みにくい。」の一文で始まり、現世を皮肉って捨ておきながらも、続く文章で同じ現世(そこに生きる人々)から溢れる出る情感を冷徹な理性による観察眼と深い洞察力によって描写してゆきます。この作品のテーマは「労働」の意味を問うことではなく、労働も含めた生活全般、つまり人の世の理あるいは不条理を描いていると理解しています。それにしても、冒頭に「智に働けば…」とくるように、生活全般における「労働」の占める重要性は大きく、その内容を決定する職業は、その人生にとって重要な要素であるに違いありません。

 

私も昨年、還暦を迎えて一昔前であれば仕事を引退して悠々自適の隠居生活もしくは老体に鞭打って再就職し、第二の職業を選んでも不思議ではないのでしょう。しかし、昨今の社会情勢は将来の労働人口の減少を見据えて、まだまだ働き続けることを是とする方向に風が吹いています。私の場合、会社の代表者という立場から、ある程度は仕事の種類や方針などを自身の意志で選ぶことができる反面、様々な制約があって簡単に会社と縁を切るわけにはいきません。したがって、これまでよりも気儘ではあっても、この会社で仕事を続けることしか選択肢がないと言えます。

 

 

漱石を真似るわけではありませんが、このように皮相的な表現で今の状況を語ることもできます。しかし、この年齢になって仕事と縁が切れないなんて実は大変、幸せなことであるとも考えられます。その前提には働くことの目的が日々の糧を得ることのみではなくて、「仕事をすることで実現したいもの」をしっかり見据えていることが必要不可欠であろうと考えます。これは、たぶん誰もが持っているものであって、明瞭な言葉で言い表せる人もいれば、普段は意識の表層に上らなくとも心の奥底に大切に仕舞い込んでいる場合もあるでしょう。仕事を続けて行ける幸せを確認しようと、山路を登る途中、少し足を止めて「仕舞い込んだ大切なもの」を探り当てようしています。智に働かなくても角が立つばかりです。